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01.28
Sat
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野川公園 2016年12月8日写す。以下同じ
野川公園は調布、小金井、三鷹市にまたがる広大な都立の公園。以前、街路樹の苗木を育てていた武蔵野公園と西部是政線を挟んで隣接している。野川公園は広々とした芝生が広がり、あちこちに大木が植えられている。遊園地的施設はなく自然いっぱい。
武蔵野公園は大木に覆われ、森林浴散歩に最適。両公園の北の端は崖になっていて(ハケと云うそうだが)清水が湧く。この清水を集めて「野川」が流れ、暖かくなると子供たちと小魚たちの交遊の場となる。大人の交遊の場には野趣たっぷりのバーベキューの施設がある。

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シロバナアブラギク(白花油菊) キク科
野菊の種類は多い。いくら野の花好きでも覚えられない、覚える気もない。素人には野菊でいいと思っている。白花油菊の名は公園の係の専門家に聞いた。油菊は黄色。関西以西の花。油に浸して薬にしたそうだ。白い油菊という意味だろうが、他にどう違うのか興味がないので聞かなかった。
野菊が終わったら野の花はほとんど見られなくなり来年の春を待つ外ない。

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ガマズミ スイカズラ科
手の平を広げたように、真っ赤な小さ実を沢山つける。きれいだが残念ながら時期切れで落ちる寸前だった。実はきれいで美味しそうだが中の種が大きく酸っぱく、あまり美味しいとはいえない。果実酒にすると味は兎も角、うすいピンクがきれい。氷を浮かべて夏の一杯がいい。

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ヤブラン ユリ科
ちょっとしたヤブなどにあって珍しくはないが、何もかも冬枯れの季節に残っているのは有難い。花盛りの季節に穂のように薄紫の花を咲かせるが他の花に目を取られて気にする人は少ない。
葉がランの葉に似ているからだろうがユリ科だそうだ。似たのにヤブランを小型にしたようなジャノヒゲ(蛇のヒゲ)がある。花壇のヘリなどに植えられる。実は深い青。

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イロハモミジ カエデ科
モミジ続きで珍しくもないが、あまりきれいだったので。背後のハケ(崖)の上はキリスト教大学。ここも同大学の敷地内だったそうだ。
桜狩り、つまり花見は盛んだが紅葉狩りと称して酒盛りをするなどはあまり聞かない。
紅葉狩りという言葉があるのだから昔は紅葉の下で酒盛りをしたのだろう。能に「紅葉狩」がある。前場は妖艶な美女が現れ、美しく舞を舞い後場で美女は鬼となって平維茂に襲いかかる活劇を見せる。
能は例外もあるが仮面劇。紅葉狩は下の面を使う。

増女
前シテの面、増女(ぞうおんな)天女など気品のある女性の相貌

しかみ
後シテの面、顰(しかみ)男の鬼の相貌、しかめっ面はこの面のような顔

信州、戸隠は紅葉の名所。真っ盛りの紅葉の中、平維茂は鹿狩りに向かう。上臈らしき女たちが幔幕を張り酒宴中だった。酒宴の興を妨げまいと馬から下り、忍び足で通り過ぎようとする。維茂は、むくつけき猛将だが優しいのだ。すると女が呼び止める。
「一河の流れを汲む酒を、いかでか見捨て給うべきと恥ずかしながらも、袂にすがり留むれば。さすが岩木にあらざれば」
維茂ならずとも山の中で美女に袖を引かれればフラッとする。維茂は美酒に酔い、美女の舞に酔い、眠ってしまった。美女が舞う「中ノ舞」がいい。美女は鬼の化身だった。妖艶な舞はやがて急調になり、しばらく目を覚ますなよと酔った維茂を睨みつけ鬼の正体を匂わせる「来序(らいじょ)」の囃に幕に消える。

神のお告げに目を覚ました惟茂に、鬼は正体を現し火炎を吹きかけ襲いかかる。大活劇だ。火を吐きかける怪獣映画の元祖は能なのだ。
鬼の能だが詞章が美しい。冒頭のシテとツレの連吟「時雨を急ぐ紅葉狩り、、、、」は昭和天皇妃の愛唱歌だったそうだ。
   能「紅葉狩」の詳しい解説はこちら

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01.21
Sat
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野川公園 2016年12月8日写す。以下同じ
野川公園を知らない人は多いと思う。調布市、小金井市、三鷹市にまたがる自然いっぱいの広大な都立の公園だが遊園地的施設がないためか訪れる人も少ない。隣接する武蔵野公園、多磨霊園、調布飛行場、キリスト教大学と、とてつもなく広大な自然が広がる。
北の端は崖(ハケとよぶ)になっていて崖下から清水が湧き出て小川を作っている。野川。暖かくなると子ども達がザリガニや小魚と戯れ歓声を上げる。野趣たっぷりのバーべキューの施設もある。

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スイセン ヒガンバナ科
この公園には似合わない花だが花のない時期に珍しいので。
水仙は海岸近くに多い。福井県の海岸の大群落が有名、県花でもあるそうだ。近くでは伊豆の爪木崎、千葉の房総半島。爪木崎は人の手が入り保護されているが房総半島は至る所に無造作に咲いている。
地中海沿岸の原産だそうだ。平安時代にシルクロード経由で中国から帰化したそうだが、あちこちの大群落を見ると信じられない。
昔から、日本人は何処から来たのか、とか物のルーツを何でも外国から来たと信じているような気がする。つまり自分の國に自信がないように思える。
名前は中国の水の仙人に由来するそうだ。ギリシャ神話にも登場するという。正しくその清らかな姿は仙女。だが球根は毒があるそうだからご注意。

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シラサギ
動物を取り上げたのは初めて。どうした訳か動物には興味がわかないが花のように美しかったから。寒さで子供が近づかない野川でエサを漁っていた。野川公園には野鳥が多いらしい。見るからに高価そうな大きい望遠レンズをつけたカメラを担いだ愛鳥家をよく見かける。我がみすぼらしい安物カメラが恨めしいと思うこともしばしば。

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イロハモミジ カエデ科
ここは空気が清澄なのだろう一段と色鮮やかだった。やはり秋の錦はモミジ。戯れに葉っぱのギザギザをイロハニホヘトと数えてみた。ほとんどが七つだった。誰が考えた名前だろう?感心しきり。

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サネカズラ モクレン科(マツブサ科とも)
変わった形と鮮やかな色の実が目を引く。別名ビナンカズラ、漢字で美男葛。中の白い果肉は西洋梨のよう。美味しそうだが名が美男葛、食べるのは悪趣味だろうから食べたことはない。
名の由来は蔓から取れるネバネバの粘液をビンつけ油のように使ったからだそうだ。
百人一首に「名にし負わば逢坂山のさねかずら、人に知られで来るよしもがな」
サネカズラの歌は万葉集にも数首あるというから、想像だが美男葛のビンつけはこの頃も盛んに使われていたのだろうか。美男と云えば在原業平。彼も使ったことだろう。業平の恋の遍歴は伊勢物語。能作者が見逃す訳がない。上演頻度の高い業平が主人公の能に「雲林院」がある。

雲林院2
能「雲林院」
 降るは春雨か落つるは涙かと、、、二条妃との恋の逃避行を見せる業平

能、雲林院は平安貴族の優雅を描いた作品だという。優雅の優は辞書に、美しく上品な様とあり雅がつけばこの上がない。桜は花の中の優、NO1。花と云えば桜を指した。この能の前場は桜の“優”問答が雅だ。芦屋の公光が満開の桜を一枝盗む。千個万個の玉より勝る桜を盗むとはと咎める老人に、花を盗むは雅の心、盗人ではないと桜を種に風流問答に心惹かれる。
伊勢物語にハマっている公光は夢を見る。満開の桜の下で紅の袴の女性と束帯の男が伊勢物語の草紙を読んでいる。所は紫野、雲林院だった。公光の夢は伊勢物語の秘事を授けようとの夢であろうと老人は言い残し霞のように消え失せる。老人は業平の霊。

桜の花の下でまどろむ公光の枕に優雅な束帯姿の在原業平が現れ二条の妃との逃避行を語るクセが絶品だ。「降るは春雨か、落つるは涙かと、袖うち払い裾を取り、しをしをすごすごと辿りたどりも迷い行く」とクセを留める。恋しい人を想う心が溢れ出る詞章、旋律にのって優雅に舞い、続いて女性の舞、序ノ舞を舞う。業平は優雅さで女性に準ずる。

伊勢物語は歌物語。源氏物語と並ぶ国民的名作。物語は枕詞の様に簡単にまとめている。鎌倉以降、伊勢物語の秘事口伝の研究、注釈が行われ、これらの書も数、残されていると云う。研究者には天皇もいるはなやかさ。宮本武蔵を可愛がった肥後、細川の殿様もその一人だそうだ。雲林院は京都紫野にあった寺。廃寺になって今はない。通常「うんりんいん」だが金剛流では「うんりいん」と呼び、寺の本当の名は「うりんいん」
   能「雲林院」の詳しい解説はこちら

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01.14
Sat
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国木田独歩文学碑 2016年12月6日写す。以下同じ。
明治末期の詩人、小説家、国木田独歩の代表作「武蔵野」の一節を刻んだ碑。

武蔵野は荻窪あたりから川越辺り迄、武蔵野市が中心地だったらしい。平坦な原野に雑木林、牧畜などの草原が広がる独特な景観の地だったという。
都までも聞こえ、古今集に「武蔵野は今日はな焼きそ若草の、つまも籠れりわれもこもれり」
伊勢物語では二条妃高子の歌としている。能「小塩」でも謡われる。「小塩」は業平が二条妃との恋の思い出を語る、ふくいくとした情緒の香の漂う能。

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イロハモミジ カエデ科

暦の上では冬。山の紅葉は散り果てたが、ここは晩秋。紅葉が真っ盛りだった。都市の真ん中を流れる川だが、両岸は鬱蒼と木々が茂り奥山を流れる谷川の様相。紅葉の色も鮮やかだった。

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エビヅル ブドウ科

山ブドウそっくり。山ブドウは山奥だがエビズルは平地にある。山ブドウの小型。黒く熟した実は甘く美味しい。酸味とやや渋味があるが。
屋久島や種子島ではエビズルをガラビと呼ぶ。ガラビの語源は英語のグレープの訛りだと物知りの説を信じていると聞いた。ここは大航海時代から昭和の初めまで度々外国船が難破し島民が助けた。エビズルをグレープと外国の船員が教えたという説。
最近このような実を“柄実か絡み?”、ガラミと呼ぶと聞いた。ガラミがガラビに訛った、が本当らしいが当地ではグレープ説が本当に思えた。

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カラスウリ ウリ科

赤くきれいな実は美味しそうだ。中身はパッションフルーツのように美味しそう見えるが嫌な匂いがする。とても食べられない。
花は花弁の周りに糸の様なヒゲを垂らした不思議は花を咲かせる。まるで爺さんのヒゲだ。“たまずさ”の名もあるそうだ。たまずさは手紙のこと。たたんで捻って結んだ結び文、ラブレターの意も。根から赤ちゃんや、弱い皮膚の“かぶれ”予防のベビーパウダー、天花粉を作ったそうだ。
白い髭の花を見ていると何か語りかけてくるようだ。“ピンクの髭にしてくれない?”とか。
能「実盛」の斎藤別当実盛は鬢やヒゲを墨で黒く染めて若作りして戦い、討ち死にした。

「死の美学」とか「死に花」という言葉がある。死は人の一回キリの大事業、己の生涯を最大限に飾りたい、その悲壮の中に美を見るのだろうか。この日本人の血は脈々と引き継がれてきたように思う。戦国時代の武将、近くは特攻隊、市ヶ谷の自衛隊のテラスで割腹した三島由紀夫。これらの人達は称賛された。ただし特攻隊員を戦争責任者として見る人は多い。だが難しいことは度外視して何かを信じて死んでいった彼らに憧れと尊敬の念を禁じ得ない。これらの人々の中に実盛の気概と「死の美学」を見る。

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舞台の階を池の土手に見立て己の首を洗う実盛の幽霊。

能「実盛」は修羅物、戦いを事とした人の能の傑作だ。死と常に向き合う武人の気骨を描く。ただ称名念仏すれば往生するとする時宗の香も匂い物語を彩る。

遊行の上人の前に実盛の幽霊は「笙歌遥かに聞ゆ弧雲の上、聖衆来迎す落日の前、あら尊や今日もまた紫雲の立って候」大江定基の詩を呟きながら現れる。重々しい上人の説法の場に法悦の空気が流れる。実盛の姿は聴衆には見えず声も聞こえない。上人と実盛の会話は上人の独りごとだ。
処は加賀の國、篠原。実盛は討たれ、辺りの池で首を洗われた。池の畔に実盛の幽霊が出ると専らの噂だった。実盛の幽霊の出現を悟った聴衆のどよめきが聞こえるようだ。

池の畔に消えた実盛の幽霊は再び上人の前に、身分不相応の錦の直垂姿で現れる。錦の直垂は侍大将の装束だ。錦の直垂は平宗盛に懇願して拝領した。死を覚悟して己の生涯を飾ためだった。
クセでは錦の直垂を模した法被の袖を巻いて誇示し武士の気骨を見せ、クセの前では篠原の池で首を洗われる場面や、終曲のキリでは手塚の太郎に討たれる場面が生々しくえがかれる。
この能でよく指摘されるが、戦いに赴き討たれるまでの場面が前後し描かれる。作者、世阿弥の自慢の作能法だという。それぞれの場面が反って鮮明に浮かび上がる。
能「実盛」の詳しい解説はこちら

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01.07
Sat
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水衛所跡。玉川上水の管理をする人が常駐していた所。2016年12月6日写す以下同じ。

玉川上水は江戸初期に作った人造の川。多摩川の上流、羽村から四谷まで40数キロ江戸の飲み水対策で作られた。測量機器の無かった時代に100mの標高差を流す土木事業は驚異だそうだ。10数年前、一時水をとめたこともあったが今は滔々と流れていて橋が幾つもあり橋の下では大きな鯉が餌をねだって口パクしている。
玉川上水は太宰治が心中した川、国木田独歩の「武蔵野」、桜並木でも有名。江戸時代には桜を吉野や筑波山の麓の桜川の桜を移植したそうだ。
今でも色々な種類の桜や雑木、野の花も色々、昔の武蔵野の面影を残している。よく整備されているとは言い難いが遊歩道もありリックを背負った人が増えた。

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イロハモミジ カエデ科

庭によく植えられているが巷の毒気に当たってか色が今一つ。玉川上水の紅葉は谷川の様な清流と鬱蒼とした木々に囲まれ毒気を防いでいるのか色鮮やかだった。

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チャノキ ツバキ科

純白の花びらの中に淡い黄色の花芯、上品できれいだ。玉川上水の遊歩道際には草花や木の花が色々植えられている。近くの人が植えたのだろう。お茶の木の花は葉の陰に隠れるようにポツリポツリと咲く。桜の様にパッと咲くと争って植えるだろうが。植えた人はお茶の花がよほど好きなのだろう。お茶は最も身近。ベトナム、インド、中国の奥地が原産で奈良時代に薬として導入したという。

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トコロ ヤマノイモ科

子供の頃、父親と山芋を堀に行った。掘り出したイモは奇怪な形で細いひげ根を生やしていた。首を傾げていると、それはトコロだよと笑われた。黄葉した葉はよく似ているが少し違う。子供に判別は無理だったのだろう。
漢字で野老。エビは背中が曲がった形を腰の曲がった老人になぞらえて海の老人、海老。トコロは白いひげ根を老人に見立て野の老人、野老だそうだ。植物の名はエゲツないものや首をかしげる名が少なくない。これは名付けの傑作だと思う。
トコロの異様な形は怪物の様相だ。場合によっては人間の老人も山道や草原で遭遇したら異次元の人に見えるかも知れない。
能「野守」では、春日野に現れた老人は鬼の化身だった。春日野は春日山の麓一帯の野原。春日野の一隅、飛火野に「のろし台」があったというから鬼、賊が出没したのだろうか。
羽黒山の山伏の前に現れた老人は鬼の化身だが姿に言葉に微塵も鬼の気配がない。能は身につけた面や装束で身分を表わす。老人は面、三光尉と呼ぶ普通の爺さんを表わす面、装束は濃紺の無地の熨斗目、これも普通の爺さん用だ。

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前シテの面、三光尉(さんこうじょう)普通の爺さんの相貌を写した面

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後シテの面、小癋見(こべしみ)鬼神の相貌

爺さんは登場早々、そろそろ若菜摘みの頃だとか、春日山の神社仏閣を賛美したり、阿倍仲麻呂の歌まで口ずさむ、長閑な春日野に住む普通の爺さんだ。
この能のキーワードは鏡。曰くありげな泉を見つけ謂れを訊ねる僧に話す「野守の鏡」の話も淡々たるものだ。
前場、中入り前、僧が本物の「野守の鏡」を見たいという。ここで爺さんは豹変する。
本物の「野守の鏡」は「浄玻璃の鏡」だ。浄玻璃の鏡は地獄の鬼の鏡。宇宙の隅々から
人の行為の善悪を全て映し出す鏡だ。
この鏡を見せたら卒倒するだろう、だから駄目だと塚の中に消える。僧も観客も背中に戦慄が走る不気味さを背に。

爺さんは後場で地獄の鬼の正体となって浄玻璃の鏡を手に現れる。身に覚えのある人は己の姿を映し出されはしないだろうかと戦々恐々、、、はあながち冗談ではないかも。
豪快な舞は鬼の能では一級品。「大地をカッパと踏み破って」大地の底の地獄に帰って行く。
   能「野守」の詳しい解説はこちら

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