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04.29
Sat
裏高尾は字の如く高尾山の裏。表の高尾は都心に近く、交通至便の手軽なハイキングコースで人気スポット。近年外国の人が急増している。
裏高尾はひっそり、好き者の天国。都心近くにしては珍しい野生植物が多いことで知られている。国道20号線から右に甲州街道旧道をたどり終点小仏まで徒歩二時間ほど。一時間に一本ほどだがバスもある。浅川沿いに山道のハイキングコースがある。途中、高尾山山頂に出るコースと城山に出る静かで快適コースがある。今回はバスで終点、小仏まで行って小仏峠を越え相模湖を目指した。

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小雨にけぶる小仏登山口。2017年4月8日写す、以下同じ

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ユリワサビ アブラナ科

谷間の水気のある所に多いようだ。軟らかく弱々しい茎を地面に精一杯に伸ばして小さな白い花を咲かせる。山の谷筋に行けば必ず会える。珍しい花ではない。ユリの名が付くがユリとは赤の他人。仄かにワサビの香りがする。美味しいというほどではないが爽やかな味わいがいい。

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ネコノメソウ ユキノシタ科

花は綺麗とは云い難いが名に惹かれる。漢字で猫の目草。実が熟して割れた形が居眠りしている猫の目に似ているからという。洒落た名を付けたものだと感心する。谷川沿いのジメジメしたところに生えるという。谷川でも汚れると生えないそうだ。姿に似ず清廉潔白な人柄ならぬ草柄と見直してしまう。

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ニコノメソウの仲間?

花を盛る皿のような黄色の葉が色鮮やかできれいだった。ネコノメソウの仲間だろうが名前は分からない。
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ナガバノスミレサイシン スミレ科

野生のスミレの種類は多い。人間の巣の密集地帯から山奥、はては高山まで所を厭わず色々の種類のスミレが咲く。
スミレは歌にも歌われ愛されてきた。「春の野にスミレ摘みにと来し我ぞ、野をなつかしみ一夜寝にける」万葉の歌人山辺赤人の歌だそうだ。昔のおじさんはロマンチストだったのだ。宝塚の歌姫は「スミレの花の咲くころ、はじめて君を知りぬ」と歌った。
ナガバノスミレサイシンは大型のスミレ、少々深い山なら珍しくない。サイシンとは、水戸の御老公の家来、助さん角さんが印籠を突き出し「この紋所が目に入らぬか」と大見得を切る徳川家の紋、葵のことだそうだ。スミレサイシンはアオイのように葉っぱが大きい。春の芽立ちは美味しい。太い根はトロロのようで美味しいらしいが食べたことはない。日本海側の寒い地方には葉も根も更に大型のスミレサイシンがあり山菜だそうだ。

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シロカネソウの仲間? キンポウゲ科

シロカネソウの仲間だと思うが名前は分からない。開花時期に早いせいか半開きだった。あまりにも可愛かったので。
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フサザクラ フサザクラ科
珍妙な花。幹にへばり付くように咲く。木に咲く花には興味がなかったが、奥多摩で初めてこの花に出会って以来木の花にも目が行くようになった。パッとは開かないが房のように垂れ下がって咲くのは珍しく興味を引く。色が鮮やかで魅力的だ。サクラの名が付くがサクラとは全くの他人だという。花は終わりに近く少々萎びていたがきれいだった。

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杖 たぶん唐松の枝かも知れない

寂しい一人旅のお供。その外にも杖は体のバランスを助けるようだ。山登りは体のバランスを保つのにかなりの体力を使うのだろう,杖一本で疲れが半減する。登山道の道端の枯れ枝を適当な長さにへし折って杖にした。初めは濡れているし表面がガサガサで気持ち悪かったがそのうち乾いて手になじんできた。人と人の付き合いも同じだなと杖に同感を強い一人合点しながら歩いた。
杖は能でも重要な小道具の一つ。老人や盲目の役には不可欠だが、刀や槍など武器にもなり、威厳を示す道具にもなる。能「山姥」や「鞍馬天狗 白頭」などの杖がそうだ。

能「山姥」は越後、越中の峻嶮な山に住む鬼の話。姿は不気味だが人を喰う恐ろしい鬼ではない。聳え立つ山、深い森林、奈落の谷、たなびく霧など大きな自然の中から生まれ出た存在だという。この大きな存在を思わせる能で話の筋は簡単。綺麗な着物を着、美味しいものを食べ豪壮な屋敷に住み、劇的恋をする、大方の人の願望だ。それらは泡沫のようなもので真理ではないとし、山姥は人間が究極に憧れる真理の象徴だとする。人智を越えた大きな存在を見せる名曲。

鞍馬天狗・工藤
鞍馬山の僧と稚児達の花見。寺男が芸を見せ、花見の席たけなわに山伏が闖入する。

能「鞍馬天狗」は永遠のヒーロー源義経、幼名沙那王(牛若丸)と鞍馬山に住む天狗との心の交流を描く能。
鞍馬寺の僧が稚児達を連れて花見にやってくる。子供たちの表情が可愛く、華やかさは桜にも負けない。僧は花見の余興に供の者に即興の舞をまわせる。
いきなり花見の席の真ん中に無骨な山伏がドカリとアグラをきめこむ。僧は子供達を連れて退散するが牛若一人居残る。
身分も度外視、知らない人でも親しく交じり合って見るのが本当の花見なのにと愚痴る山伏に、一緒に花を見ようと牛若が山伏を誘う。少年牛若の器を見せるところ。
花を眺めながら牛若は、今の稚児達は今を時めく平家の一族、自分は零落れた源氏の子供だ、世の中にも桜の花にも見捨てられたような身分だと山伏に語る。
山伏は牛若を慰めようと、あちこちの山の桜を見せる。愛宕、髙雄、比良、横川、吉野、初瀬などいずれ劣らぬ花の名所だ。これらは地理的にかなり離れている。その日の事か日を改めての花見かなど考えないでほしい。理屈抜きで見るのが能。
山伏は牛若の袖を取り舞台を一巡するだけだが、時間と空間を象徴的に見せるのだ。
山伏と牛若の温かい心の交流を描いて秀逸の前場だ。
山伏は自分はほんとは古くから鞍馬山に住む天狗だと名乗り、平家を滅ぼし源氏を再興しなければならない牛若に兵法の秘術を授けるために現れたのだ、明日また会おうといい雲に乗って飛んでいく。舞台から橋掛、幕の前まで走り虚空を飛ぶ様を見せ幕際で止まりゆったりとした退場楽「来序」に乗って幕に入る。雲に乗ったことを表わす。

木の葉天狗二人が現れ大天狗に牛若の相手をするようにと命ぜられたと太刀打ちの前稽古を始める。滑稽な仕草に思はず笑いがこみあげ和やかな空気が流れる。
やがて長刀を担ぎ凛々しい姿の牛若が登場、天狗を待つ。
大天狗は杖を突き、大きな羽団扇(はうちわ)を腰にユッタリした登場の囃、大ベシにのって特殊な足使いで現れる。雲に乗って現れる様を表わし、杖は大天狗の威厳を表わす。
大天狗は諸国の天狗を従え、その出現は凄まじく峰々を動かし嵐のような滝のような音を響かす。この場面を大天狗は一の松に出て欄干に足を掛け袖を使い天狗倒しの激しい型で見せる。諸国の天狗はシテの型と観客の想像に任せる。
大天狗は牛若に漢の高祖の臣下、張良の説話を引いて忍従の心を教える。
兵法の秘術の伝授は豪快な舞「舞働」で表される。
大天狗は西海、四海の戦いには影身を離れず傍にいて力を貸そうと言い残し夕影暗い鞍馬山の木の梢をかすめて飛び去る。豪快なキリの舞が痛快だ。
 能の詳しい解説はこちら 「山姥」「鞍馬天狗

今年、6月11日「鞍馬天狗」他の公演があります。

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04.22
Sat
節分草
節分草 キンポウゲ科 
写真 USB青 3月30日 節分草 秩父
セツブンソウ キンポウゲ科 2017年3月30日写す

林の中など日陰に生え石灰岩地帯を好むという。
派手な花を咲かせるキンポウゲ科のなかで、楚々と可憐な姿が魅力的だ。10数センチほどの花茎の頂上に1センチほどの花を1個咲かせる。花の下の、切れ込みの深い葉が2枚リング状に茎を抱き、まるでフリルかネックレスのよう。貴婦人の装いだ。
この花に憧れる人は多く寒さの中も厭わず山の中を駆け回り探す。しかし堀り取るのはたいへん。地中深く大豆ほどの小さな塊茎から木綿糸のような細い茎を伸ばす。堀りあげる途中切れてしまったらもう見つからない。掘り取りたい気持ちはわかるが写真に納める程度にしておこう。花が早春節分の頃咲くので節分草。
エフェメラルプラント(短命植物)の仲間。儚い命の植物という意味だそうだ。初夏、他の草の葉が茂り出すと葉も花茎も枯れ土の中の塊茎が来年の早春を待つ。
「能」にも運命や命の儚さをカゲロウや水の泡、露に例えられる人たちが多く登場する。中でも「藤戸」の主人公は深刻だ。

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「氷の如くなる刀を抜いて胸のあたりを刺し通し刺し通さるれば」刺し殺される場面を再現して見せる漁師の霊。

「藤戸」は源平の戦いに巻き込まれて殺された若い漁師の物語。典拠は平家物語。
「源氏方は藤戸(岡山県倉敷市)に平家は児島に陣を張ったが間の水路が深く源氏方は攻められなかった。先陣をもくろむ佐々木盛綱は所の漁師から馬で渡れる浅瀬を聞き出すがこの漁師がまた他の人に教えるのではと漁師を殺す」前場と後場があり前場では殺された男の母親の嘆きを描く。母親は支配者となった盛綱に「我が子返させ給えや」と迫る。母故の気迫が圧巻だ。加害者である盛綱はこうなったのも「前世の因縁だ」と母親を説得する。今の世の我々には理解できないが当時の宗教観だった。宗教は人間の本能をも制限する。
後場は殺された男が幽鬼となって現れ「泡沫の哀れに消えし露の身の」と述懐し殺された場面を再現して見せる。竹の杖を刀に擬し刺し殺す場面は能の表現形式の極限に迫る迫力。
竹の刀がギラリと光るかのように見え恐怖を誘う。人間とは何?など考えさせられる名作。 
能「藤戸」の詳しい解説はこちら
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04.15
Sat
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武甲山(ぶこうさん)2017年3月30日 秩父で写す。以下同じ

秩父の代名詞のような存在の山。縄文時代からの信仰の山だったという。良質の石灰岩の山で長年削り取られ年々山容が変わっていく。1336Mあった標高が今1300にも及ばないという。今の世は、神も金には及ばないかとこの山を見上げる度に涙が出る程の感慨だ。武甲山には固有種の植物が生きていると聞いたことがある。彼や彼女らはどうなったのだろう。

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フキノトウ キク科 

ここはまだ早春、やっと目を覚ましたという風情。黄金色に道端にポツリ、ポツリと咲いていた。天ぷらが美味しい。生のまま刻んでオカカと暖かいご飯にかけて食べる、最高だよ、という変わり者がいた。試して見たら強烈な香りと、アクで参った。

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カタクリ ユリ科

まだ蕾、開いているものはなかった。早春を代表する花の一つ。春の訪れを告げる花の代表として、にぎやかにテレビなどで紹介される。
きれいなうえに山菜としても絶品。庭に植えたいが町中の土の中にはカナブンなど昆虫の幼虫がいて根、鱗茎を食べてしまうので育てるのは難しい。

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セツブンソウ キンポウゲ科

なよなよとした風情、透き通るような色合い、繊細に見えるこの花が寒気の厳しい中に咲くから不思議だ。
三月も下旬、毎年見に行く群生地は既に花は終わり種になっていた。一つくらいはと場所を変え、雪の残る山肌を探した。数個見つけた。

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ダンコウバイ クスノキ科

アブラチャンだとばかり思っていた。春一番のこの花を心待ちにしているし名前が気に入っているからだ。チャンは“ハナ子ちゃん”のように愛称だと思っていたが違うらしい。だが愛称と思うことにしている。
花のつき方や大きさが気になって聞いたらダンコウバイだという。初めて聞く名だった。アブラチャンそっくり、混同するのも素人には当たり前。漢字で檀香梅。折ったらいい匂いがした。

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キブシ キブシ科

地味な花だけに反って早春の花にふさわしいように思える。
家に帰り花瓶に差し飾った。華やかだけが花ではない、などと呟きながら見ていると、彼も何か語りかけてくるような風情だ。花のイメージを離れた不思議な存在感がある。不気味な怪僧に見えまた滑稽味のある天狗にも。少々大袈裟だが能「車僧」に登場する僧、車僧が思い出される。

車僧は禅宗の僧。引くべき牛もない破れ車を法力で動かし飛び歩いた。
愛宕山の天狗が山伏姿で現れ車僧に禅問答を仕掛ける。神通力を持つ天狗だが車僧に敵う訳がない。散々に打ち負かされ捨て台詞を残して退散する。
天狗は恐ろしげな正体を再び現し、今度は行力(仏道修行で得た力)比べを挑むが又もや散々に打ち負かされ反って僧に畏敬の心を抱き退散する。
僧と天狗の禅問答、行力比べの一騎打ちが無駄を省いた簡潔な詞章で描かれ豪快、痛快だ。
能「車僧」の詳しい解説はこちら
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04.08
Sat
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都立農高農場 2016年3月20日写す。以下同じ

府中市にある都立農業高校の実習農場。深大寺や都立神代植物園に程近い。深い谷になっていてマスの養殖施設、ワサビ田、小さな田んぼがある。青年学校の射撃訓練場だったそうだから昔は人里離れた処だったのだろう。車の騒音も聞こえず静かこの上もない。
公開日には生徒たちが園内を案内してくれる。
訪ねたお目当てはカタクリ。カタクリは桜と申し合わせたように同じ頃に咲く。今年は開花宣言の直後寒く桜はちじこまったまま。期待半ばで訪ねた。満開だった。

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カタクリ ユリ科

カタクリは万葉の昔から愛されてきた花。古名は堅香子(カタカゴ)「もののふの、八十娘子(やそおとめ)らが汲みまごう寺井の上の堅香子の花」大伴家持の歌だそうだ。家持が富山県の高岡に赴任した時の歌だという。水汲みに集まった少女たちの賑やかな笑い声が聞こえてくるようだ。少年の頃、初老の国語の先生に教わった。目を閉じ上を向き口すさんだ姿が忘れられない。カタクリは北陸、東北に特に多いと聞く。
少々かたいが優しい食感、クセがなく美味しい山菜。昔は球根から片栗粉を取った。片栗粉は今ではジャガイモのデンプン。まがい物だが片栗粉と詐称しても(笑)罰せられることはない。

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モミジイチゴ バラ科

通称“きいちご”六月梅雨の頃、黄色い実が熟する。美味しさは栽培種のイチゴに負けない。枝にトゲがあって人を拒む。めげずに挑戦する甲斐がある美味しさだ。だが強引に枝を揺するとバラバラと落ちてしまう。

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アマナ ユリ科

別名ムギグワイ。地中の根、鱗茎が正月に食べるクワイに似ているからという。食料難の頃、掘って食べたのだろう。鱗茎も美味しいが葉っぱもクセがなく美味しい。

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ウグイスカグラ スイカズラ科

鶯神楽と書く変わった名。枝にとまった鶯と揺れる花が神楽を舞っているようにみえるというのだろうか。里山の花が好きな友人がいた。友人にこの花を「鶯の神楽の舞」と教えられた。変わった性格で些細なことで気まずくなり共に里山を歩くこともなくなった。
神楽は神を祀る舞楽。神社によって色々な神楽があるようだ。
能にも神楽がある。能「三輪」「龍田」「巻絹」など。三輪、龍田はご神体が神楽を舞い、巻絹は神が乗り移った巫女が舞う。特に巻絹の神楽は重い習い事のある神楽だ。

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神が乗り移った巫女。神楽を舞い神託を述べつつ狂おしく舞う。

三熊野に勅命の巻絹を納める使いの者が音無の天神に立ち寄り心中の願いを祈願する。
男は梅の香を聞いて感じ、心の中で歌を詠む「音無にかつ咲き初むる梅の花、匂はざりせば誰か知るべき」男は刻限に遅参する。勅使は男を遅参の廉で縛り上げる。やがて音無天神の巫女が現れる。巫女は既に天神が乗り移っていた。男は音無天神に参詣して歌を詠み遅参したのだ、縄を解けという。勅使は卑しい男が歌など詠む筈がないと疑う。和歌は当時、知識階級の人達の専有物。巫女は男に歌の上の句を復誦させ、下の句を巫女自ら続け勅使を納得させ男を救う。
神憑きの巫女は毅然と和歌の徳を語り仏教の説話を語り祝詞を奏上する。やがて熊野全山の神々も巫女に乗り移り、神託を述べつつ御幣を打ち振り狂おしく舞うが、突如神々は巫女から去り巫女は本性にかえる。巫女は手にした御幣を肩越しに放る。神が離れたことを示す象徴的な能独特の表現法だ。
神楽は総神楽といい常の神楽を変えた特殊演式となる。憑き物の能は数あるが精神的に日本国の中心であった三熊野が舞台故か、不思議な雰囲気を醸す能。重く扱われる名曲でもある。
神道の巫女が仏教を語る、現代人には理解し難いが、昔は本地垂迹、神仏習合だった。熊野は吉野との交流で生まれた神仏混淆の山伏発祥の地でもあったという。
  能「巻絹」の詳しい解説はこちら

能「巻絹」の公演があります。
時 四月十五日(日) 会場 横浜能楽堂
お問い合わせ
金剛流横浜能の会事務局
〒249-0004 逗子市沼間3-12-9 
TEL FAX 046-873-8224 E-Mail zushi.kumagai@nifty .ne.jp
横浜能楽堂
TEL 045-263-3055

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04.01
Sat
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2017年20日写す。以下同じ

多摩湖は東京の西、狭山丘陵にある人造湖。村山貯水池とも呼ばれる都民の水瓶。手入れが行き届き、きれいに整備されている。
中央線、武蔵境駅北口から歩いて10分ほど、境浄水場がある。境浄水場から多摩湖まで水を引く導水管が埋設された上はサイクリングロード。境浄水場から多摩湖まで12K,このところ自転車、ジョギング。ハイカーなど急増、にぎやかだ。

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スミレ スミレ科

単にスミレと名が付くのは一種だけ、外は何々スミレと名が付く。タチツボスミレ、エイザンスミレ、サクラスミレ等々。スミレは種類が多く外来種もあり素人には判別が付かない。スミレとしたが多分間違いだろう。スミレはスミレ属の総称でもあるというから勘弁して頂く。似ているものに白花があった。

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コブシ モクレン科

早春の山や野を“春が来たよ”とばかり盛大に飾る。東京ではコブシやモクレンが満開のほぼ一週間後頃、桜の開花宣言がある。
インドのホテルのロビーでウイスキーを飲んだ。インドではイスラム教のように飲酒は禁じられてはいないが、ヒンズー教では酒は人の魂を狂わせるから飲まない方がよいという教えがあるとガイド氏に教えられた。インドの人は人前では控えるそうだ。外国人は埒外だ。ロビーでピアノの演奏をしていてリクエストをという。酔って故郷が恋しくなったのだろう日本の国歌をリクエストした。流れて来たのは“コブシ咲くあの丘北国の♪”千昌夫のヒット曲「北国の春」だった。日本の国歌だと思っているのだとガイドさん、世界は広いナと感慨一入だった。帰国の時ガイドさんに使い残ったインドのお金をあげたらお礼にとウイスキーをくれた。インドの人達が隠れて飲むウイスキーはうまかった。

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キブシ キブシ科

キブシの花房が垂れ下がる頃、山に花は極少ない。地味な花だが春の到来を知らせる花。
聞いただけでは分からない変な名前。漢字で木五倍子。木の実の五倍子(ゴバイシ又はフシ)という意味だそうだ。五倍子はヌルデに付く虫コブ。昔お歯黒をつくった。木五倍子の実からも五倍子の代用でお歯黒をつくった。
お歯黒といっても現代人にはピンとこない。お歯黒は既婚の女性が歯を黒く染め“お手出しはいけませんよ”のおしるし。終戦後しばらくまで、おばあちゃんがお歯黒をしていた。笑うとお歯黒の歯が気味悪かった。中世までは高貴な男性もお歯黒をしたという。

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ムラサキケマン ケシ科

漢字で紫華鬘。華鬘はお寺の本堂を飾る飾り物だそうだ。一名、藪ケマン略してヤブケ。何処にでもはびこる花で珍しくないが、よくよく見るとなるほど華鬘、名の如しだと思う。
折るといやな匂いがする。葉っぱを青虫が食べるそうだ。この青虫がサナギになり花の妖精、蝶に変身する。蝶は詩や歌に詠まれ童謡にも歌われ愛されてきた。能に童話のような作品がある「胡蝶」

胡蝶・修090
梅の花に戯れ舞い遊ぶ胡蝶の精

能「胡蝶」 
梅は早春の花。蝶は百花繚乱の晩春に生まれ百花と縁を結ぶ。
早春の梅とだけ縁のない身を嘆く蝶の精が、僧に法華経の功徳によって梅の花と縁を結ばせてほしいと懇願し、中国の故事、荘子が蝶になった夢の話や、源氏物語、胡蝶の巻を語る。ここまでが前場。
後場では僧の法華経の読経に、この世に蘇った胡蝶の精魂が願い叶い花に戯れ遊び、お礼の美しい舞を見せる。
荘子の夢の話は、荘子が夢で蝶になり、蝶が自分か自分が蝶か分からないという、斉物論なる荘子哲学だそうだが哲学は兎も角、物語の核心、クセの導入部に語られ、蝶と人との優しい繋がりを例にしていて違和感がない。
続く源氏物語、胡蝶の巻は、源氏が園遊会を催し池に船を浮かべ童に胡蝶の舞を舞わせた。
哲学を空想の世界に転じ、源氏物語の華やかな世界を見せ夢の世界に誘う。

能「胡蝶」の解説はこちら
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