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05.27
Sat
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大菩薩峠登山の苦楽を共にした杖。2017年5月7日写す。以下同じ。

多分ブナの枯れ枝だったと思う。急峻なガレ道では寄りかかる体を支え、きれいな花を一緒に見た。用が済んだらハイ、サヨウナラかとかと思っていただろう、ごめんと手を合わせてサヨウナラをした。 

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水場

うっかり水筒を忘れた。水が無いと危ない、途中で引き返すしかないと諦めていたら意外な所に水場があった。
冷たくて美味かった。喉の渇きを潤してフト、水がうまいというのも変だナと思った。別に味があるわけでもない。甘いとか塩辛いとか酸っぱいとか辛いとかいう、いわゆる味を旨いとか不味いとかいうのだろうがと。水場の水に味があったら気味が悪くて飲めない、などと感謝の気持ちは忘れて屁理屈を呟いた。全く嫌な性格だなとも呟いた。一人では寂しかったのだろう。

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シロカネソウの仲間? キンポウゲ科?

名前は分からない。瓦礫の中にひっそりと咲いていた。誰かに見てもらうともなく只自然に咲いていた。その凛とした姿は昔の高僧伝にでも出て来そうな高僧の風情だった。

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エイザンスミレ スミレ科

学者が比叡山で名付けたそうだ。それまでは名無しだったのだろうか。比叡山だけにある訳ではなく全国どこの山でも珍しくない。エイザンスミレを比叡山で採ったと夏目漱石の日記に登場するそうだ。口髭をたくわえ神経質そうな漱石も乙女心を持つロマンチストだったのだろうか、人は見かけによらないと云うが。
いい匂いがするそうだが嗅いだことはない。葉っぱが変わっている。花が咲いていないと、とてもスミレとは思われない。

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ミツバツツジ ツツジ科

群生するブナの大木の下に咲いていた。あまりの美しさに息を飲んだ。少々大袈裟だが深山幽谷に突然の華やかな群落、能「石橋」の場面を彷彿とさせた。

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ボタンに戯れる親子の獅子

能「石橋」は深山幽谷の清涼山を訪れた僧、寂昭の前に現れた親子の獅子が牡丹の花に戯れる様を勇壮華麗な獅子の舞を見せる能。

この能は舞台設定を知っておくと更に面白いと思う。
先ずワキ僧の寂昭、俗名大江定元は元官僚。三河守に出世したが死んだ最愛の女に未練を残し、しばらく添え寝して過ごした。ある夜、女の口を吸った「おぞましき香」に彼は発心した。人間らしい発心に共感だ。寂昭は中国、宋に渡り円通大師の号を与えられた程の高僧になり彼の地で寂したという。
この寂昭が清涼山を訪ねる。清涼山は深山幽谷の地。幽谷に橋が架かる。石橋だ。橋の向うは文殊菩薩の浄土。
「石橋と申すは、人間の渡せる橋にあらず、自れと出現して、、、、、その面わずかに尺より狭うして苔はなはだ滑らかなり、、、、、谷のそくばく深きこと千丈余に及べり。上には滝の糸、雲より懸かりて下は泥梨(地獄)も白波の、音は嵐に響き合いて、山河振動し、、、、、」と清涼山の物凄い景色を謡う。
石橋を渡ろうとする寂昭の前に現れた老人は、石橋を渡ろうと志す者は高僧、貴僧でもこの地で難行苦行の月日を送り法力を得て渡るのだと寂昭を止め、しばらく待て、奇跡が起こるだろうと云って立ち去る。
獅子は来序の登場楽で現れる。前半のゆたりした演奏は深山幽谷を表わし露が滴り落ちる静寂を表わす“露の拍子”が獅子の出現の期待を高める。囃は次第に急調になり獅子の登場となる。獅子の舞は渾身の力を振り絞って体力の限界まで舞う過激な舞だ。
能「石橋」は元来、獅子一匹の舞だが、現在では小書きの子獅子との合舞が普通。祝言や記念能で演ぜられることが多い。
   能「石橋」の詳しい解説はこちら

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05.20
Sat
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大菩薩峠稜線の肩 2017年5月7日写す。以下同じ

小説「大菩薩峠」で知られた山。気にはなっていたが行ったことはなかった。
奥多摩から塩山に抜ける国道411号、通称青梅街道は深い森林、深い谷、断崖絶壁をぬって走る変化に富んだ路。枝道に入って四季の花を見るのが楽しみで度々訪ねる。初夏の花を見に行こうと地図を見ていたら小菅村から林道を行くと白糸の滝があり、少し先から大菩薩峠への登山道があることがわかった。一般的なコースは反対側の塩山側かららしいが地図上ではこちらの方が近そうだった。途中まででも行ってみようと思い立った。

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白糸の滝

途中、白糸の滝に寄った。薄緑の新緑の木々の枝を縫って落ちる白い糸のような滝が息を飲む美しさだった。案内板に明治初年、小菅村を視察に訪れた県令(今の県知事)が帰途この白糸の滝に寄り大菩薩峠を越え甲府に帰ったとあった。時計は既に11時を指していた。もともと峠まで行くつもりはなかったが県令様程の人が越えたのだ、当時は甲府への通常の道だったのだろう、もしかして近いのかもしれないと早ガッテンして登った。

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ハシリドコロ ナス科

怪しげな花。それもそのはず質の悪い毒草だ。漢字で走野老。野老はヒゲを生やした山イモのような太い根のことという。“走”が問題だ。ハシリドコロを食べると幻覚症状が起き、やたらと走り回るそうだ。古い話だが、銀山湖(奥只見湖)に流れ込む沢に釣りに来た二人が美味しそうに見えたのだろうハシリドコロをオヒタシで食べた。一人は川上に走り一人は川下に走った。川下に走った男が河原に倒れていたのを山小屋の人が発見、二人は助けられた。河原の大きな石が裸の女に見えたと云ったとか。銀山湖の山小屋のおばさんが大げさな身振り手振りで話してくれた。

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山桜 バラ科

新緑の映える中に一際浮き出てきれいだった。白に近い薄い色、ほんのり赤い色など種類があるようだった。

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ヒトリシズカ センリョウ科

ヒトリシズカは早春の花。ここは標高が高くまだ早春なのだろう。マユハケクサの名もあるそうだ。花の形が眉刷毛に似ているからという。花という概念から外れた、なんとも可憐な花だ。姉妹種にフタリシズカがある。能「二人静」に因む名だという。フタリシズカはハケのような花穂が二本、ヒトリシズカは一本、これから一人静と名付けた。華やかな花ではないが数枚の葉に抱かれるように花穂がスックと立ち上がる。名前の由来の白拍子「静」の気品を思わせる。シズカは静、白拍子だった源義経の愛妾。悲劇の女性。

能「二人静」は義経の兄、頼朝に追われた義経と静が雪の吉野の山中を逃げ惑い、静は捕らわれて鎌倉に送られ頼朝に舞を強要された。静は恐れることなく義経追慕の舞を舞ったという。この傷ましい静を描いた能。

二人静03・宗家・若
寄り添うように舞う静の霊と巫女

吉野、勝手明神の巫女が神に供える若菜を摘みに吉野川に行く。女が現れ我が為に経を書いて追善するよう神職に伝えよという。
神官がお経を書くとは変だがこの時代は神仏混交の時代だった。
巫女は神官に女の言葉を伝え「誠しかれず候いて」と不審すると俄かに巫女の声が変わる。静かの霊が憑いたのだ。
演者の工夫どころであり見どころ聞きどころでもある。
静の霊が憑いたと知った神官は舞を所望する。
巫女は後見座で舞の衣裳を着る。物着と云い能独特の演式だろう。
巫女が静の舞の衣裳をつけ舞い始めると静の霊も全く同じ装束、面で現れ寄り添う様に舞う。
相舞と呼ぶ演出だ。
二人は「クセ」で雪の吉野の逃避行の苦難を舞い、「序ノ舞」を舞い頼朝の面前で舞った「賤やしず、賤の苧環くりかえし、昔を今になすよしもがな」と謡い舞い、留める。

相舞は数あるが「二人静」の相舞は寸分違わずピタリと合わせて舞うことを理想とするという。気の合った者同士、兄弟、親子などで演じることが多い。シテは静の霊、ツレは巫女。ツレに負担の大きい能。

静は容姿端麗、白拍子の名手であった。鎌倉で義経の子、男の子を産んだが頼朝は由比ガ浜の海中に静の子を沈めた。その後、静は放免されたが行方知れずとなった。
静は十代終わり程の年齢だったという。
能「二人静」の詳しい解説はこちら

※ 能を見に行きませんか?
  下記の公演があります。


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詳しくはのチラシをクリックして下さい。詳細ページへ飛びます。


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           能「鞍馬天狗」牛若を励ます天狗

乱(みだれ)の詳しい解説はこちら鞍馬天狗こちら
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05.13
Sat
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サクラソウ サクラソウ科 2017年5月4日 写す。植栽

花ビラの形が日本人の心の花、桜にそっくり。ピンク色の花弁、微笑んでいるように咲く姿が魅力だ。長野県原村近くの草むらの中に咲いていたのを頂いて植えていたのが増えて、毎年可愛い花を見せてくれる。サクラソウは日本の桜草。知らない人は多い。花屋の店先や花壇を飾るのは西洋桜草だから。
昔は荒川の土手や湿地を覆うように咲いていたという。花の季節には花見用の瀟洒な重箱に料理を詰めて、江戸の好き者が船を連ねて桜草の花見と洒落込んだそうだ。
荒川の自然の桜草は土手や河川敷からほとんど消えてしまったが田島ガ原にわずかに保護されている。ここも怪しげな雑草に虐められ風前の灯だ。
昔の日本人は花の交配に興味が薄かったようだが桜草と菊の交配は別で、殊に熱心だったようだ。意外に思うが江戸の武士が荒川土手の遠駆のついでに変種の桜草を見つけ交配したのが桜草交配の切っ掛けだという。交配した桜草を屋敷に飾り自慢した。今も伝統は受け継がれ花の頃には組み立て式東屋を立て、色々の品種の桜草を飾る。

武士は無骨が通り相場だが花好きの武士もいたのだ。遠く昔の平忠度(ただのり)もその一人だった。熊野育ちで大力、屈強、早業の剛の者だったが和歌をよくし藤原俊成に師事した。和歌への執心は強く朝敵となり死を覚悟し一の谷の戦場に赴く時、俊成を訪ね俊成が編集していた千載集に採り入れるよう懇願した。
「源平などの名のある人の事を花鳥風月に作り寄せて能よければ何よりもまた面白し」と書いたという世阿弥が見逃す訳がない。格好の材料だったのだろう能「忠度」に作った。

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「かの六弥太を取って抑えて腰の刀に手を掛けしに」仕舞「忠度」―山田伊純―(仕舞は能の中の見どころを囃を省き面、装束を付けず紋付、袴姿で舞う)

能「忠度」は武人であり歌人でもあった平忠度の和歌へのあくなき執念を作った能。
ワキの僧は藤原俊成の家人、俊成が亡くなり出家して修行の旅に出、須磨の浦を訪ねる。「花をも憂しと捨つる身の」と謡う。この能の展開を暗示しているようだ。
僧は“一木の桜”(ひときの桜)を訪ねる。一木の桜はこの地で散った忠度の墓標の代わり植えられた木であり、源氏物語、須磨巻所縁の木の名でもある。寂寥感が漂う。
桜の枝を折り添えた薪を負い老人が現れる。忠度の霊だ。賤しい老人姿だが風雅が滲み出る。老人はこの須磨の浦の塩焚きだという。塩焚きが海ならず山に通うのはと不審する僧に、塩は薪がなくては焚けまいという。老人を飄逸に描いて一味加えて名所教え等の作能法に似た場面だ。二人は打ち解け、やがて日も暮れる。僧は老人に宿を所望する。「この花の陰ほどのお宿の候べきか」と老人は一木の桜を指す。「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」忠度が短冊に書き付け箙に付けて一の谷の戦いに臨んだ歌を暗示する。

僧は一木の桜の下で旅寝をする。僧の枕の元に武装の忠度が現れる。
一の谷の戦いに赴く切迫した中に意を決して狐川から引き返し藤原俊成に千載集に自作の歌を採り入れてくれるよう懇願する忠度の和歌への執心が切々と語られる。
一転して忠度の最後が語られる。岡部六弥太の郎党に腕を切り落とされるところや六弥太に首を討たれる場面は能独特の表現法で扇を巧みに使い象徴的に演ぜられ生々しい場面が能的情緒に転化される。忠度の姿で六弥太の郎党や六弥太を演じるのも能独特の演出法だ。
箙に付けられた「花や今宵の主ならまし」と詠んでこの能の主題を述べ留める。
  
能「忠度」の詳しい解説は「こちら
山田伊純公式サイトは「こちら
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05.06
Sat
桜川は筑波山近く、桜川市の山から流れ出、霞ケ浦にそそぐ小さな川。
「常よりも春べになれば桜川、波の花こそ間なく寄すらめ」平安を代表する歌人、古今集の選者の一人でもある紀貫之の歌で桜川の桜を詠んだ歌だそうだ。桜川の桜は都にまで聞こえ、貫之が憧れた程の桜だったという。
能「桜川」の舞台なので十数年前に訪ねたのが切っ掛けで度々訪ねた。「磯部の百色桜」といわれる自然交配の様々な種類の山桜が磯部桜川公園に植えられている。山桜は人の手で交配された桜には失われてしまった色、形、匂いなど、微妙な風合いがあり魅力だ。
春、周辺の山は薄桃色の桜衣を着飾り息を飲む美しさだ。この辺りの山の土質が桜の生育に適していて山桜の宝庫だという。十数種が国指定の天然物に指定されているそうだ。
能「桜川」では狂女が桜川に散り浮いた花を掬い網で掬い上げ舞い狂うが、現在の桜川には桜はない。昔は桜川公園近を桜川が流れていたと聞いたことがあるが事実どうかは分からない。桜川公園は常磐線、友部駅で水戸線に乗り換え岩瀬駅下車。

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稲村神社境内の歌碑 2017年4月20日写す。以下同じ

常よりも春べになれば桜川、、、、、の紀貫之の歌碑。稲村神社の境内に能「桜川」のワキ僧の磯部寺跡がある。磯部寺は明治初年、廃仏毀釈の嵐の中、廃寺となったという。
昔からそれなりの寺には社が祀られている。例えば清水寺の地主権現のように。
廃仏毀釈の嵐は凄まじく例えば奈良の或る寺では寺の礎石まで壊され坊さん達は寺に祀っていた社の、にわか神主となって祝詞をよんだそうだ。稲村神社のことは分からない。水戸光圀がしばしば参詣したという。光圀は「大日本史」を編纂させた国粋主義者、天狗党の神様的存在だったそうだ。

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里山の山桜

桜川公園近くの里山に見に行った。いつもより数が少なかった。この山にも色々の種類の山桜があるそうだが大方は葉桜になってしまったのか、見られたのは咲き残りか遅咲きの桜だろう、ガッカリだった。

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霞桜と名札が付けてあった。

四月の初め桜川公園を訊ねたらまだ蕾だったと仲間が知らせてくれた。今年は開花が遅れ気味なのだろうと待つことにした。サクラはパッと咲いてパッと散る。頃合いかナと行ってみたら殆どが散ってしまっていた。遅咲きなのだろう霞桜の名の桜だけが満開だった。
能「桜川」では“霞の間には樺桜”謡う。樺桜もあった。

桜川02・訓三
能「桜川」は狂女物と呼ばれ、処の名物を種に狂女ならではの奔放な謡、舞を見せるのを主眼とした能。

少年、桜子は生活苦の母親の姿を見るに耐えられず人買いに我が身を売り手紙を残し東に下る。母は“のうその子は売るまじき子にて候ものを”と子の後を追い東を目指し狂い上る。母が辿り着いたのは常陸の國、桜川。ここは聞こえた桜の名所。子の名も桜子、母は子を懐かしみ桜川の淀みに散り浮く桜を掬い網で掬い舞い狂う。狂女物に付き物の狂いと呼ばれる「網之段」、曲の中心をなす見どころだ。
子は桜川の寺、磯辺寺の僧の弟子になっていてここで図らずも母に遭遇する。親子は共に故郷に立ち帰り仏に仕える身となり二世安楽の身となる。
狂女物の能は芸の面白さを見せることを主眼とした能だが、隅田川の悲劇や、魅力的な名文を連ねた三井寺などの名作がある。

桜川のシテ狂女は“これは筑紫日向の者”と名乗る。筑紫は北九州を指すが九州全域の称でもあるという。「わが故郷の御神をば木花開耶姫と申して」とあるのでこの母は日向(宮崎県)の人だろうか。宮崎から茨城まで千数百キロの長旅、我が子のためならば如何なる苦労も厭わぬのが母なのだろう。能の狂女は我が子や恋人を訪ねて旅をする。桜川の母は桁外れの一番の長旅だった。
  能「桜川」の詳しい解説はこちら




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