FC2ブログ
06.24
Sat
   山はあっても山無(梨)県、こんな狂歌を聞いたことがある。山梨市は山に囲まれ風光の優れた地。乙女高原は山梨市の東、秩父連山の国師ケ岳のふところといった処。標高1700m。すぐ向こうは長野県。
深い森林に囲まれ広さはそれほどではないが訪れる人も少なく静かな隠れスポット。フトしたことで発見、以来度々おとずれる。
車なら甲府から秩父に抜ける国道140号線、三富村あたりから左の山道に入り30分程。
下界は初夏だがここはまだ春、枯草の中に早春の花が咲いていた。

IMG_4302.jpg

IMG_4304.jpg
ズミ バラ科 2017年5月30日写す。以下同じ

純白の小花を盛大に咲かせる。春の風にそよぐ姿は息を飲むほど美しい。秋に小さな実がみのり食べられる。果実酒が美味しいそうだ。秋には試して見たいと楽しみにしている。
リンゴにごく近い親戚で昔は接ぎ木の台木に使われたそうだ。実は梨に似ている。

IMG_4282.jpg
ハルリンドウ リンドウ科

リンドウといえば秋の花を代表する一つだと思っていたが春に咲くリンドウもあった。よく似たものにフデリンドウがある。素人には見分けがつかない。学者ではないので区別せず春咲きのリンドウでいいと思うことにしている。フデリンドウもハルリンドウも小さくてかわいい。枯草の中にひっそりと咲いていた。小さいが姿も形も色も一流、堂々と咲いたら?と言ってやった。

IMG_4294.jpg
サクラスミレ スミレ科

色々の種類のスミレの中で日本では一番大きいスミレだそうだ。大きい上に美しい。スミレの女王さまだ。
二十年近く前にもなろうか、野草好きのお年寄りと知り合った。自から花爺と呼んでいた。当時、山歩きをしていて花爺に採集を頼まれた。採集した花はコケに水を含ませ持ち帰った。帰りのザックは重たかったが花爺の笑顔が浮かび苦にならなかった。
花には全く興味がなく、ただひたすら頂上を目指すだけだったが花爺のおかげで野草好きになり山歩きが一段と楽しくなった。
ある時、サクラスミレの採集を頼まれた。場所は秩父、当時、朝日新聞に「花おりおり」というコラムが一面にあり評判で花爺はこれで知ったらしい。右手に堀り上げたスミレを持ち左手にシャベルの代用、足を滑らせつ両手をバンザイして崖から落ちてしまった。時間と共に左の足が爪先から足の付け根まで紫色に内出血、ラグビーボールのように腫れあがった。だがサクラスミレには恨みはない、いい思い出になった。お礼にと花爺からお家のお宝を頂いた。

IMG_4307.jpg
ナナカマド バラ科  まだ蕾だった。

北海道や青森で街路樹のナナカマドを見かけた。紅葉と真っ赤な実がきれいだった。
ナナカマドの名の由来は七度カマドに入れても燃え残るからだそうだ。
青森など東北の人は寡黙の人が多い。厳しい自然環境に耐えて生きてきた過去の記憶が
身体のDNAの奥底に潜んでいるのだろうか。ナナカマドのように芯の強い人のように見える。
青森の厳しい環境に生活していた猟師を描いた能がある。能「善知鳥」だ。

うとう
善知鳥を追う猟師(カケリ)

主人公は前場では猟師の老人。老人の面、三光尉をかける。後場は生前の老人であり去年の春、死んだという設定だが、姿は若い猟師の姿であらわれる。奇異に思うかもしれないが能では珍しいことではない。能は詩劇、理屈より詩情が優先する。
面は痩男、地獄の責め苦に憔悴した相貌。所は青森県、陸奥湾に面した外ケ浦。
猟師は善知鳥という鳥を獲って生活している。
善知鳥の親鳥は雛を砂の中に隠していて餌を与える時“うとう”と鳴く。子は“やすかた”と答える。猟師は親鳥を真似て“うとう”と呼び雛に“やすかた”と答えさせて親鳥をおびき寄せ親鳥、子鳥共に捕らえる。

地獄はこの世にも存在した。富山県の立山もその一つ。立山の地獄谷は荒涼とした景色に火山ガスの噴出、熱湯の湧出、真っ赤に淀む血の池、まさに地獄。
猟師は殺生戒を犯した罪でこの立山地獄に送られ地獄の責め苦を受けている。
立山禅定の僧の前に現れた猟師の霊は外ケ浜の妻に蓑と笠を手向けるよう懇願する。
蓑笠を手向けて供養する僧と妻の前に現れた猟師の幽霊は、我が家の佇まいを謡う。
「所は陸奥や、、、、、籬が島の苫屋形、囲うとすれど疎らにて、月の為には外の浜、心ありける住居かな」
我が家は苫葺きの家、囲おうとするが隙間だらけ、だが隙間から月見が出来る。なんとも風流な家ではないかという。老人は我が家のあばら屋を月見の出来る数寄屋だと諧謔に述べ自嘲する。猟師はこの家に住み、麻の粗末な衣を着、風雪に耐えて生活していたのだ。

猟師は善知鳥を捉える様を見せる。「カケリ」と呼ばれる舞だが修羅物や狂女物で舞うカケリと名は同じだが全く違い「善知鳥」だけのカケリ。“うとう”と鋭く叫び舞う姿は真に迫り、観る人まで善知鳥になり追いかけられている錯覚に陥る迫力だ。
生前の悪行の報いはここ地獄では倍加され、その責め苦は凄惨を極める。子を猟師に捕られた親鳥は血の涙を空から降らせ、血の涙は猟師の体の皮、肉を溶かす。猟師は妻が手向けた蓑、笠を着て逃げ惑う。笠を手向けるよう頼んだのは血の涙を防ぐためだった。
親鳥は更に化鳥となって猟師の眼球をえぐり、肉を裂く。

猟師は「とても渡世を営まば、士、農、工、商の家にも生まれず」と嘆く。昔の身分制度は生まれた時からの定めだった。生きるため生活のため、仏の戒めを破らざるを得ない運命が哀れだ。仏の戒めは卑しく貧しい者にも容赦はない。貧しい者ほど過酷だった。宗教に縛られた中世の人々の姿だ。
「助けて賜べや御僧」と叫び救いのない地獄の底に再び落ちて行き終曲となる。
類曲に「鵜飼」「阿漕」がある。

能の詳しい解説は以下をごらんください。

「善知鳥」はこちら
「鵜飼」はこちら
「阿漕」はこちら
comment 0
06.17
Sat
IMG_4266.jpg
滝行の霊場 2017年5月27日 高尾山にて写す。以下同じ

高尾山は信仰の山。数か所に滝行の霊場がある。人は生きるために罪を重ね穢れる。穢れを洗い落とすのは水。水で穢れを払う、万国共通らしい。インドの人は毎日沐浴をするという。乞食でも清潔。ガンジス川の茶色に濁った水でインドの人達に混じって沐浴した。捻挫の痛みが消えたのを思い出す。

高尾山はJR中央線一本で行けて深山の雰囲気があり手っ取り早いハイキングスポット。
山頂近くに高尾山の象徴、薬王院があり参詣人で賑わう。麓からケーブルカーで手軽に行け、外国の人達も多くごった返す。
高尾山はやや珍しい草花が多いことでも知られている。登山者の少ない裏高尾には特に多いという。勢い裏高尾を訪ねることが多い。
今回は久し振りで表から登った。登山コースは八つ程あるという。花に沢山出会いそうな稲荷山コースを登った。かなりの急登、さすがに人は少なかった。
草花は春の花と夏の花との端境期だろうか目ぼしいものはなかった。もっとも時間も遅く急いで登ったので見落としたのかも知れないが。

IMG_4227.jpg
ガマズミ スイカズラ科

おかしな名。名の由来には諸説あるらしいが、聞いても興味を覚える程のことはない。
秋に真っ赤な実を付ける。いかにも美味しそうだがあまり美味しくない。種を皮が包んでいるような感じでそのうえ酸っぱい。果肉はごくわずか。
だが果実酒の材料としてはよく知られている。果実酒の材料は酸味があるのが条件。ないものはレモンなどで補うほど。ガマズミの果実酒は淡いピンク色で氷を浮かべると清涼感満点。味の好みは人それぞれだから余計な評価は控えよう。

IMG_4230.jpg
ナガバモミジイチゴ バラ科

木イチゴには種類が多いが中でも紅葉イチゴがいちばん美味しい。みずみずしく透き通って宝石のように美しい。だが全身トゲだらけだからご用心。乱暴に揺するとぱらぱらと落ちてしまう。初夏の山登りの楽しみの一つ。


IMG_4245.jpg

IMG_4244.jpg

ガクウツギ ユキノシタ科

大きな花弁は装飾花というのだそうだ。ウツギの名が付くがアジサイの仲間だという。
この日、初めて出会った。オヤと驚いた。純白の装飾花が目を引いたし変わった花の姿だったから。
ビジターセンターで名前を教えてもらった。そう珍しい花ではないという。今まで何回となく出会った筈だが木の花に関心がなかったからだろう。

IMG_4224.jpg
山桜の実 バラ科

登山道の落ち葉の上に落ちていた。熟して落ちるには少し早いかなと思うが小鳥の仕業かも知れない。桜は日本の国花。華やかに咲き古い昔から親しまれてきた。散る花も歌に歌われ詩に詠まれた。だが実には誰も見向きもしない。次の世代を育む存在ではあるが落ちた実に悲哀を見る。能には桜の実とは比ぶべくもないが、悲惨な最後を遂げた人たちが多く登場する。源義経、俊寛、景清、建礼門院、楊貴妃、等々。人間ではないが人間を暗示したという怪物、鵺(ぬえ)の末路はとりわけ哀れだ。

nue.jpg
能「鵺」源頼政が鵺を弓で射落とし退治する場面。鵺の亡霊が頼政を演ずる能独特の演出。

僧の前に現れた怪物、鵺は腐った倒木のような船に乗って近づいてくる。「浮き沈む涙の波の空船(うつおぶね)」と嘆きながら。空船は殺された鵺が押し込められ淀川に流された船なのだ。
鵺は頭は猿、尾は蛇、足と手は虎、聞きしに勝る恐ろしい怪物だった。彼は天皇に憑き祟って殺された。
前場では鵺退治の勇者を公卿達が評定し、選ばれた源頼政が弓で鵺を射殺する武勇を描く。討たれる鵺が討つ頼政を演ずる。能独特の演出法だ。それ故その迫力は真に迫る。
後場では頼政の勲功と退治された鵺の哀れを対比して描く。
終曲に鵺は「暗きより暗き道にぞ入りにける、遥かに照らせ山の端の月」和泉式部の歌を絶叫して暗い海に沈んでいく。冥土への暗い道を月は照らしてくれるだろうかという想いを残して。
体制側に殺された者の悲哀と孤独な魂の救済を求める心情を描いた作品ともいう。

源頼政は源氏と平家の争い「平治の乱」に平家側に付き一門の反感を買い、齢七十半ば過ぎて勝ち目のない平家追討を企て自刃して果てた。知られた歌人でもあった。
得体の知れない人を“鵺”と評する。頼政の末路と殺された鵺の姿が交錯する。

    能「鵺」の詳しい解説はこちら

comment 0
06.10
Sat
 IMG_4317.jpg

IMG_4313.jpg
クマノミズキ ミズキ科 2017年5月30日 山梨県三富村で写す

クマノミズキは大木。花を間近に見るのは難しいが、山道の崖下に咲いていて道までせり出しているのに出会ったことがある。真っ白の十字型の小花が手の平のようにかたまって咲く。山桜が終わり代わってクマノミズキが新緑の山を飾る。
クマノミズキは漢字で熊野水木だが熊野特産ではないという。全国にあるそうだ。熊野には特に多いのかどうかは知らないが、熊野で学者が名前を付けたかららしい。水木の名は水を沢山吸い上げるからという。熊野は雨の多い所で知られている。

木の花にはあまり関心がなかったし、クマノミズキの名も知らなかった。
フトしたことからこの花は忘れ難い思い出の花となった。
心の師と思っていた人が突然なくなり高尾の墓所にお参りした。帰り道にクマノミズキが咲いていた。見るともなくボーっと見上げていたら、「クマノミズキだよ」と後ろから声がした。振り返ると森田だった。
森田の家は本屋で、出入りしているうちに森田の父親と懇意になった。森田とは年齢も近くごく自然に親しくなった。
森田は大企業の営業の仕事をしていた。森田は元々酒に弱かった。取引先の接待から飲めるようになった。元々アルコールに弱い体質、アルコール依存症になり入院した。
退院した森田に職場の上司以下、同僚が退院祝いと称して飲み会をして森田に酒を飲ました。人のいい森田は飲んだ。
酒を拒否する薬を処方されていた森田は嘔吐し、苦みながら断り切れずに飲んだ。森田は再入院した。
高齢の父親の切々とした話が聞くに堪えられなかったが、森田の虚ろな目や姿を見ると諫言じみたことは言えず、要領の悪い励ましの言葉しか言えなかった。
その後転居したので森田に会うことはなかった。

高尾で再会した森田は全くの別人だった、というか元に戻った森田だった。森田はボーイスカウトの制服を着ていた。柔和な笑顔を浮かべた、人のいい森田に戻っていた。“いい人”とは、自分によくしてくれる人の事だと思っているが森田は誰にでもいい人だった。
父親の必死の説得に会社を辞め、父親の書店を引き継いだと話してくれた。
能に登場する人物は森田のような、人のいい人物は少なく強烈な性格の人達が多い。中でも平安末期の歌人、藤原定家は強烈を代表する。能「定家」に作られた。

sadaie.jpg
定家カズラの絡みついた墓石の中から現れた式子内親王の亡霊が報恩の舞いを舞う。

IMG_4349.jpg
テイカカズラ(定家カズラ)2017年6月8日武蔵野市境南町で写す
定家カズラは煩悩の権化のように何物をも厭わず絡みつく


能「定家」は、藤原定家の式子内親王への凄烈なまでの恋を描いた能。
「玉の緒よ、絶えなば絶えねながらえば、忍ぶる事の弱りもぞする」式子内親王の歌だそうだ。式子内親王は後白河院の皇女、定家との恋を隠そうとしたが二人の恋は漏れ式子内親王は定家との逢瀬を拒む。式子内親王の亡き後、定家の内親王への恋の執念は蔦鬘となって内親王の墓石に絡みつく。
僧の読経に、ほぐれた蔦鬘の墓石の中から憔悴した式子内親王の亡霊が現れ、定家の呪縛からしばし解放された報恩の舞を舞う。舞は「序ノ舞」。序の舞は優艶な女性の舞というのが相場だが、憔悴していても内親王、序ノ舞が相応しいというのだろうか。同じ序ノ舞だが凄惨とまでは云えまいが異質の空気が漂う。
舞終えた内親王は、恥ずかしい姿を何時までも見せまいと云いつつまた墓石の中に帰って行く。再び蔦鬘が絡みつく。この曲に定家自身は登場しないが定家の怨念を漂わせたまま終わる。

作者は金春禅竹。重厚な詞章と仏教思想の重圧が重くのしかかる能。禅竹は仏教に深く傾倒した人でもあったという。
小書(特殊演出)が多いのはこの曲が重く扱われる証だろう。
藤原定家は、おごり高ぶり、へりくだりのない頑固者の嫌われ者で出世もままならず極貧だった時もあったと云うが、歌人として歴史に名を残した。興覚めかも知れないが定家は式子内親王より十歳以上も年下、二人の恋はフィクションではないかとも云われる。
   能「定家」の詳しい解説はこちらこちら
comment 0
06.03
Sat
IMG_4160.jpg

IMG_4158.jpg
ウツギ(卯の花) 2017年5月7日 奥多摩町丹波山で写す。

純白の小花を、雪が積もったようにふんわりと咲かせる。美しい姿はまさにウエディングドレスの花嫁。
夏が近づくと“卯の花の匂う垣根に”の唱歌「夏は来ぬ」がラジオやテレビから流れた。この頃トンと聞こえない。昔の歌だからという理由だけではないと思う。今や世の中は物質的には豊かな時代。国の隅々まで楽しいことが行き渡っている。野や山の木や草の花などには目が向かないのだろうか、歌は世相を写すのだろう。

「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」奥の細道の曽良の句だそうだ。芭蕉の「奥の細道」のお供で奥州に下った時、白河の関で詠んだという。“かざし”は髪飾りのこと、うらぶれた芭蕉と弟子、曽良の姿が目に浮かぶ。
昔は白河の関を通る時、衣冠を正して通ったという。昔、奥州は地の果てだった。地の果てに向かう覚悟の儀式のようなものだったのだろうか。曽良の茶目っ気にも聞こえるが不真面目な解釈だろうか。
芭蕉は平安後期の歌人、西行に憧れを持っていたそうだ。西行は奥州を数回旅した。奥の細道は西行の後をたどる旅だったともいう。西行は元、北面の武士、頑強だっただろう。持病持ちの芭蕉は決死の旅だったという。
白河の関の近くに「朽木の柳」の旧跡がある。西行がここで「道の辺に清水流るる柳陰、暫しとてこそ立ちとまりけれ」と詠んだ跡だ。
芭蕉は「田一枚、植えて立ち去る柳かな」と詠んだ。この時の芭蕉の手控えに紙が貼ってあり「田一枚、、、」の句は貼った紙の上に書いてあった。貼った紙の下をX線で見たら別の句があったと新聞で報じられていたのを読んだことがある。芭蕉はあまりにも西行を意識し過ぎたと思い、後日作り変えたのだろうとあった。

旧跡「朽木の柳」は能「遊行柳」に由来する。西行に詠まれた柳の精が僧の前に現れ、柳にまつわる故事を語るという枯淡な境地を作った能だとする。
枯淡とは何?辞書に枯淡とは、世俗的な名利にとらわれず、さっぱりしていること。また、そのさまとある。今の世相では枯淡も影が薄く理解も曖昧だ。能には世を捨てた人物が登場する。多くが僧だ。僧は名利を離れひたすら仏に仕える人。

遊行柳


手飼の虎の引綱も長き想いに楢の葉の、、、(御簾の中で柏木たちの蹴鞠を見物していた女三宮の飼い猫が逃げ出し猫の引き綱で御簾がめくり上がった。柏木はチラリと見えた女三宮の姿に、たちまち恋に陥った。柏木は光源氏の正妻であった女三宮を長く思い続けた。源氏物語、若菜ノ巻。手飼の虎は猫のこと)

能「遊行柳」のワキは遊行上人、所は白河の関近く、陸奥の入り口。上人の前に現れた老人は上人を朽木の柳に案内する。「人跡絶えて荒れ果つる、、、、、昔を残す古塚に。朽木の柳枝さびて、、、」
人の欲望、名利を離れた閑寂な空気を湛えたまま前場は終わる。

老人は柳の精だった。神に似た姿で再び僧の前に現れ柳の故事を語る。クセの前半では
清水寺の本尊、楊柳観音の来歴をかたり、後半で蹴鞠に因んで源氏物語、若菜ノ巻の柏木の恋を語る。蹴鞠の広場の四角には四本の木が植えてあり中の一本が柳であった。
蹴鞠の型や女三の宮の飼い猫の引き綱の長さを、想いの長さになぞらえた象徴的な型が面白い。
クリからクセにかけて語られる柳の故事の物語には一貫性はなく、見る人の思いが凝縮することもなく断片的に移り行き個々の物語に触発されて枯淡な時が流れる。閑雅な空気も混じるのは柏木の恋に思いが及ぶからだろうか。
柳の精は「序ノ舞」を舞う。序ノ舞は女性が舞う優艶な舞とされる。男では業平が舞う。
柳の精が舞う序ノ舞は閑雅な境地をねらったもので、数ある能の舞の中で序ノ舞が最も相応しいのだろう。優艶な舞とされる序ノ舞も老人が舞えば全く違った境地を醸し出す。
人との離別の時、輪にした柳の枝を贈るという故事を謡い、老いの足も心もとなくよろよろと倒れ伏し「露も木の葉も散りじりになり果てて、残る朽ち木なりにけり」と留める。
大きな空虚感が、やがて大きな感動に変わっていく。
   
   能「遊行柳」の詳しい解説はこちら




comment 0
back-to-top