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09.30
Sat
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多摩川 東京都稲城市 稲城大橋より狛江市方面遠望。
2017年9月10日写す。以下同じ

多摩川は奥多摩のその又奥の山梨県の笠取山を水源に流れ下り
東京湾に注ぐ大河。
河川敷には野球場など娯楽施設もあり、ヤブも林もあり流れは澄み
アユも釣れる。自然いっぱい、魅力の川。

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多摩川のアユ

高度経済成長期の東京の川はドブ川だった。隅田川も多摩川もご多分に
漏れなかった。
清流が戻りアユが戻ったと聞いたことはあったが半信半疑だった。
おじいさん三人が河原で休んでいた。釣り竿があった。
「何が釣れるんですか?」
「美女」
「え?」
「人間の美女じゃあないよ。人間の美女は縁遠くなったからナ」
一人が河原からビクを持ってきた。アユだった。
まさしく美女!
「大きいのは塩焼き小さいのは丸ごと天ぷらか唐揚げ、全部持って行って」
固辞したが、自分たちは食べ飽きたからと凍ったペットボトル付きで30匹程
全部頂いた。嬉しいこと久しかった。感激限りなし!

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チョウセンアサガオ?(朝鮮朝顔)

?はあまり自信がないから。
変な名。熱帯アジアの原産なのにどうして朝鮮?
夕方咲き始めて朝しぼむのに朝顔?どうして?
花岡青洲がチョウアサガオから麻酔薬を作り、乳ガンの摘出手術に初めて
成功したことで青洲、朝鮮朝顔共々有名だとか。
朝鮮朝顔は今でも重要な麻酔薬の原料だそうだ。

祖父が大変な喘息の持病持ちで朝鮮朝顔の葉を煙草のように吸っていた。
庭一杯植えてあり花の頃は見事だった。
庭一杯、花盛りは幼い頃の記憶で後、記憶に枝葉が付いたのかもしれない。

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ヒガンバナ(彼岸花) ヒガンバナ科

河川敷の林の中にひっそりと咲いていた。彼岸花は大群落をつくる。
嘗ては大群落だっただろうが、木々が急成長して日光不足で情けない
株になったのだろう。河川敷の木は成長がはやい。こんなヤバイ所に
芽を出さないで草っ原に芽をだせよ、よ~く考えてと云ってやったが
無駄だろう。能「高砂」でも「草木心無し」と謡うから。

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クズ(葛) マメ科

秋の七草の一つだと云うが盛大にはびこるやっかい者。
邪魔者の花に興味はなかったがよくよく見るときれい。
葛の根は怪物のようで太い。根を細かく削って水で抽出、
デンプンを造る。クズ粉。
市販のデンプンはサツマイモやジャガイモから大規模な設備でつくる。
くず粉は手作業、大変な作業だろう。味は抜群、吉野が名産地。

葛は昔の人も手を焼いたのだろう。能「砧」では「恨みは葛の葉の」と謡う。
 訴訟で上京した夫が三年も帰らない。夫の帰国を待ち詫びる妻。
気晴らしに下人の作業の砧を打つ。
「悲しみの声虫の音、混じりて落つる露、涙、ほろほろ、はらはら、
いずれ砧の音やらん」
切羽詰まった妻の心情を見事に謡い表す。他に比類がない程に。
夫の帰郷が延びる報が届く。絶望の内に妻は悶死する。
幽霊となって夫の前に現れた妻は「恨みは葛の葉の」と夫に迫る。
「亭主、元気で留守がよい」のご時世なのにと思う向きもあらかも知れないが
なかなかの人気曲。

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河原の石の造形

誰が造ったのだろう。大小の石を積み上げて、それも安定を考え
積み上げている。灯籠二基もあった。三日や五日では造れまい。
ただの“お遊び”には見えなかった。何かを想い造ったのかも知れない。
目の前の清らかな多摩川の流を見ながら。

平安前期、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)は憧れの奥州、
塩釜の絶景を模して六条河原に「河原の院」を造った。
池には致景で知られた塩釜の小島も造り、
毎日大阪湾から三千人に船で汐を運ばせ、塩を焚きその煙を楽しんだ。
融の死後、桁外れの規模の別邸を譲られた宇多院も流石にサジを投げ
荒れ果てたという。能に作られた「融」

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在りし日の華やかな遊舞を見せる融の霊

能「融」は魅力満点の能。美文が冴える。
融大臣(とおるのおとど)の亡心は塩汲みの老人の姿で現れ、
荒れ果てた河原の院の景色を嘆く。美文が老人の嘆きを倍加させる。
名所教えも作能の一形式に終わらず、塩汲みの老人の身の上に還元、
余韻を残し前場を飾る。

後場はガラリと変わり嘆きは消え失せ、在りし日の融大臣姿で、
浮きやかな囃子で現れる。
塩竃を写した河原院の主と名乗り軽快な「盤渉早舞」を華やかに舞い、
在りし日の豪奢な遊びを名文に載せて謳いあげ、
「この光陰に誘われて月の都に入り給う」と余韻を残し終曲となる。
この一節は追善に謡われる。死者を弔う意ではなく、華やかな月の都の
住人となって欲しいとの願いだろう。
余談ながら源氏物語の夕顔の巻の「何某の院」は河原の院だそうだ。
宇治の平等院も源融の別荘だったという。

能「」の詳しい解説はこちら「砧」はこちら


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09.23
Sat
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多摩川 是政橋からの調布市方面の眺望 2017年9月10日写す。以下同じ。

多摩川は隅田川と並ぶ東京の大河。隅田川は都心近くを流れ、
多摩川は東京の西から東の東京湾へ、神奈川県との県境を流れ下る。
河川敷に野球場やサッカー場、バーベキュー施設、芝生の広場、
林、ヤブまで広がっている。隅田川とは全く違う景観、自然いっぱいの河。
両岸の堤防はサイクリングロードでサイクリングやジョギングで賑う。

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オニグルミ(鬼胡桃)クルミ科

実はお菓子や和え物で親しまれている。
食べる実は脳ミソの形のシワシワの固い殻の中。
殻を割るのに道具がなければ無理。
リスは殻を歯でかじって食べると云うから驚く。
年末によく上演されるバレー「くるみ割り人形」はチャイコフスキーの
作曲だそうだからロシヤの人も食べるのだろう。

南国育ちは、胡桃は本で読んで知っていたが、どんなものか知らなかった。
幼い頃祖母が、蕁麻疹がでたら脳ミソの形の不思議な物体を煎じて飲ませていた。
長じて胡桃であることがわかった。実際に薬効があるかどうかは疑わしいが、
奇っ怪な形に薬効を信じたのかも知れない。信じることは恐ろしい。
繰り返し煎じてもピタリと治るのだから。
後で祖母に聞いたのだが、ある家の庭に胡桃の木が植えてあり主が、
お宝よろしく恩を着せてお下げ渡ししそうだ。

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キクイモ(菊芋) キク科

あちこちのヤブに花盛りだった。ヤブコキして近づいた。
見上げる程の背丈、大型のまばゆい黄色の花、さすがアメリカ渡来。
根にショウガの様な太った根茎が出来る。
二次大戦終戦前後の食料難時代、争って掘り返して食べたそうだ。
意外とうまいよというので食べてみたが味は覚えていない。
多分、旨くもなく不味くもなかったのだろう。
別名カライモ(唐芋)。鹿児島の人はサツマイモをカライモと呼ぶ。
唐芋は異国渡来の芋ということらしい。

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アレチウリ(荒れ地瓜)

河原の雑草を覆い尽くすように盛大に茂っていた。
隼人瓜(ハヤトウリ)そっくりだが果実は貧弱で、
仲間の瓜やキュウリに遠く及ばない。
アメリカ原産だそうだから相応しく巨大な実をつければいいのにと思ったり。

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イタドリ(虎杖) タデ科

若芽は太く逞しく土を押しのけ顔をだす。
酸っぱいが、生を塩で食べると美味しい。ヌカ漬けはもっと美味しい。
太い茎が固くなって白や薄紅色の花を盛大に咲かせるとは想像もできない。
虎の杖とは大げさだが、茎に赤黒い斑点模様があるのを虎に見立てたようだ。
虎杖をイタドリと読むのは全くの当て字で、イタドリの根の漢方薬、虎杖根
(コジョウコン)からの読みらしい。
名月草とも。きれいな名だがどうして名月?
疑問は残るが少々不細工でも花の名はきれいな名がいい。

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別荘(庵かも知れない)

多摩川の河川敷にはクルミや柳の大木が茂る林があちこちにある。
猫がいた。名前を知らないので「オイ、ネコ」と声をかけたら、
プイとそっぽ。向うえ歩いて行く。
後をつけたらこの別荘に辿り着いた。別荘の主のペットなのだろう。
別荘の骨組みは建築用足場のパイプ、屋根と壁はテント布とブルーシート。
鎌倉時代の大歌人、西行法師の庵は柴だった。
この別荘は先端の材料を使って、簡素に意を用いた近代建築だった。
主は如何なる人?栄華の巷を嫌いこの寂しい河川敷に隠棲しているのだろうか?

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カナムグラ(鉄葎)アサ科

所かまわず生い茂り何にでも選ばず絡みつく厄介もの。
嫌っていたせいか、こんなかわいい花が咲くとは思いも寄らなかった。
ヤブコキで気が付いた。
能「三輪」の玄賓(げんぴん)僧都の庵を覆った葎もカナムグラだったのだろう。
玄賓僧都は平安前期の法相宗の高僧。高徳を慕って多くの貴賤が尋ねた。
名利を嫌う玄賓は、たまらんと逃げ出し、三輪山の山陰に庵を結び隠れ住んだ。

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「神楽」を舞う三輪明神

能「三輪」は玄賓の閑寂な庵の佇まいを、
「門は葎や閉じつらん、下樋の水音も苔に聞こえて静かかなる、
この山住みぞ寂しき」と情緒深く描く。
心に染み入るのは、現代人はそれ相応に玄賓の山住に幾ばくかの、
憧れを持つからだろうか。
玄賓の庵を毎日、樒、閼伽の水を持って現れる謎めいた女が訪ねる。
女は玄賓に衣を所望する。不審する玄賓は女の住家を訊ねる。
女は「杉立てる門を知るべにて訪ね給え」と答え消え失せる。
女をミステリアスに描き後場の展開に期待を抱かせる。
女は三輪の女神だった。

後場のクセで三輪の縁起が語られる。おおかたの曲のクセは、
曲舞の定型の型で舞われるがこの曲ではこの曲だけの、物語に即した
型が舞われる。
謎めいた行動の、夫の行き先を突き止めようと夫の裳裾に糸を付けて、
その糸を辿る型に色々の型が工夫されている。

終曲のキリが、意外な展開で面白い。
神話、天照大神の岩戸開きで、天鈿女命が半裸で舞ったという舞を
「神楽」で舞い岩戸開きが再現される。
変化に富んだ物語の展開が魅力の能。

「三輪」の詳しい解説はこちら

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09.16
Sat
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町の残照 (武蔵野市境南町5丁目付近 2017年9月12日写す)

砂内桂馬は世にいう後期高齢者に近い。だが自分を老人と意識したことはなかった。
老人の日にお婆さん二人が市からのお祝いを持ってきたことがあった。
「おめでとうございます。市からのお祝いです」
「家には老人はおりません。もらえません」
すんなりと出てきた。作意はなかった。
「あらまあ、御冗談を」
二人はお祝いのお菓子だろう、紙箱を桂馬に突き出し遠慮なしに笑いながら隣の家へ向かった。
こんな事もあった。
テレビで後期高齢者の制度ができたと報じられた。インタビューに老人は、
「ゼニカネ云々ではない。名前を付けて区別するのが癪に障るのだ。まるで、お前たちは役立たずの老人なのだよと言わんばかりだ。差別だよ」
桂馬は自分には縁遠いものの様に、ただ漠然と見ていた。
そのうち自分の身にも来るのだなど思いも及ばなかったのだ。

その朝、桂馬は起きて来なかった。
目は覚めているのだが呪詛にかかったように体が動かない。動こうという云う意思が湧いてこない。ただの物体のように横たわっていた。
間を置いて場所も時も分からない景色や唄の一節や人の顔が断続して、何の脈絡もなく浮かんでは消え消えては浮かんだ。わずかの感慨も感動もなかった。
これまでの桂馬は前の日に疲れて今日はゆっくり遅くまで寝るぞと思っていても意志とは無関係に起き上がり何かを始める質だった。
ドアが開いて娘の朝子が声をかけた。
「どうしたの?お父さん、具合でも悪いの?」
朝子は父が常にじっと落ち着いていることが出来ない性格であることをよく知っていた。

朝子は子供二人と里帰りしていた。夫の俊輔がニューヨークに単身で赴任していて子供達の夏休みが終わる頃を見計らってニューヨークに行くことになっていた。
しばらく同居して父親の様子を見ておきたかったのだろう。夫、俊輔のニューヨーク勤務は六年ほどの予定だ。
朝子はニューヨーク行を迷った。娘達の外国生活も不安だったが、一人の生活に馴れつつあると云っても父、桂馬を残して行くのは心配だった。
ニューヨーク行きは桂馬が熱心に勧めた。
「子供たちには外国で生活するなんてチャンスだよ。普通の家庭ではできないことだ。それに会社が金を払ってくれるンだ」
「わかるけどお父さん、行っても大丈夫?心配だナ。一人でちゃんとやっていける?東京には何かあった時、助けてくれる身寄りがいないのよ」
朝子は一応桂馬に念は押したが安心感はあった。

桂馬が子供の頃の通信簿に、独立心が強いとあった。人に頼ることを避ける性格を先生は見ていた。人に頼り過ぎると煩はしい問題を引き起こし、お互いの不幸の種になる、幼い経験ながらもその危惧が芽生えていたのだろう。
無意識のうちに他の人にもそうあって欲しいと願っていたのかもしれない。
桂馬は会社を引退する間際に妻の温子に卒業証書を渡した。引退を機に家事一切の義務から解放し自分を大切に生きてほしいと書いた卒業証書だった。
家庭を築き子育が終わったのを機に、できる範囲でそれぞれの自分に立ち返ろうという趣旨だった。桂馬の独立心からだろう。
卒業証書を渡したことは独立心だけではない。桂馬が育った家庭の事情もあった。桂馬は世の夫のように、妻は夫の従属物だとは思っていない。
幼い頃、母を見続けて自ら学んだのだ。母は幼い桂馬にも分かる苦しみを抱いていた。
母の苦しみは年齢とともに諦めになり、悟りとなり鬱々と見えた母の顔が穏やかになって行った。この母の悟りに似た穏やかな顔を見る度に反って幼い頃の想いが蘇り胸が痛たんだ。そうした母への想いはいつしか温子に向けられていた。

母が桂馬と姉の曜子のために書いた童話を桂馬は大切にしていた。
桂馬が幼い頃、友達が東京の洋菓子屋で美味しい菓子を食べたと自慢した。桂馬は母に菓子を食べたいとせがんだ。母は桂馬に洋菓子を諦める童話を書いた。
母の童話に感じ入ったのだろう温子は娘、朝子のためにと童話を書き始めた。
温子は筆が停滞すると桂馬に助けを求めた。桂馬は物を書く事に心得がある訳ではないが、ダイビングの好きな友人に誘われて行った南の島、サイパンやパラオの話、例えば三日月の欠けた部分が見えた話などをした。温子の目が輝いた。
「そうよネ、環境が大事よネ。お母さんは日本一の塩釜の景色を常に見ていて豊かな心で書いたのでしょうネ、羨ましいナ。だって東京は毎日が慌ただしい景色だもの」似たような言葉が温子の口癖になった。

温子に渡した卒業証書はタンポポの絵で縁どられていた。朝子が書いたのだ。
「タンポポのようにいつまでもニコニコ、優しい綺麗なお母さんでいてほしいから」
朝子の言葉を桂馬は忘れなかった。
朝子の云うようにいつまでも純粋に外観ではない、きれいな温子でいて欲しかった。

その頃桂馬は、危うかった子会社の経営を立て直すためにして出向していた。目途が立ったと確信し安心したのだろう、
「ここらで引退しようかな」冗談だったがその気持ちもない訳ではなかった。桂馬は将来、暮らしていける経済的な目途が立ったら定年を待たず退職して自分の時間を持つことが夢だったし、体力のあるうちに早めに温子を開放してやりたいと常々思っていた。
温子は大喜びだった。
「うれしい。南の島に連れて行って」
だが気持ちとは裏腹に経済的に家を守る義務感から抜け出すことが出来なかった。
「何とかなるわよ」
温子の説得に耳を貸さなかった。
ある朝、温子が首筋を押さえて桂馬に見せに来た。
「見て見て、イボ!」
「ま、いいかイボくらい。私も年ですものネ」
桂馬は温子のイボを指で撫で、定年前の退職、卒業証書を出すことを決心した。

退職後、温子に家事を細かに習った。桂馬は器用な質だ。新婚の時からちょっとした家事、料理や洗濯も手伝った事が役立った。煩雑な家事も難なく覚えた。
試しに温子に大宰府の実家に行ってもらい、一人生活体験をしたかともあった。
今一人の生活でも不自由は少ない。
ここ数年こうした父の姿を朝子は見て来た。近所の老人達を見ると、人の老化は兆しが見え始まると早い。一抹の不安はあったが老いには個人差が大きい。桂馬に老の兆しは薄いと朝子は思っている。朝子のニューヨーク行を決心させた大きな要因であった。
 
朝子の声に桂馬はゆっくり半身を起こし一点を見つめた。
40年近く務めた会社の人達は勿論、小学生以来の友達や、世の中に関心を抱き始めた故郷の高校時代の友人たちの会、例えば花見の会などを律儀に勤めて来た。これ等の会もここ5,6年前から徐々に立ち消えになって行った。世の中がだんだん狭くなって行き、閉塞感を徐々に感ずるようになった。律儀に付き合って来た人達だが、親近感も段々と遠のいていた。どうしてこの人たちの顔が浮かぶのだろう。桂馬は顔を左右に振り浮かんだ顔を振り払い、温子の顔を浮かべた。温子との思い出をあれこれと思い浮かべ辿った。

「そうだ。渋谷へ行こう」
桂馬は弾かれたように着替えを始めた。何ものかが力の源を注入したかのように力んで。
朝の支度をしている朝子の背に、
「渋谷へ行って来る」
「えっ渋谷?こんなに早くに?何しに?」
「人に会う約束、忘れてたンだ」
「ご飯は」
「うん、いらない」
「どなた?お友達?」
「うん、鶴」
「ふ~ン。お目出度い名前そうね。鶴太郎とか鶴次郎とか鶴之介とか?」
「まアね」
朝子は包丁の手を止め、
「え、鶴?」
朝子は首を傾げた。父と母が知り合った頃、父が亀、母は鶴と呼び合っていたと朝子は聞いたことがあった。朝子は自分の思い過ごしと思ったのだろう、それほど詮索する様子もなく笑いながら
「行ってらっしゃい、鶴さんによろしく」笑いながら振り返った。
桂馬の返事はなかった。右手に折り畳みの傘を握っていた。

桂馬は道玄坂の横断歩道の前に佇み向かいのビルの二階の喫茶店を見上げていた。
桂馬の両肩を擦りながら人が渡っていく。
桂馬が目指す喫茶店だった。喫茶店の外観は昔のままだと桂馬は思った。
桂馬は喫茶店を凝視しながら横断歩道を渡りかけた。
“キーッ” 脳を押し潰すような音に、桂馬の足は電源を切られたロボットのようにぎこちなく止まった。桂馬の顔は音の方向にねじ向けられた。オートバイのブレーキだった。
男がヘルメットを片手に、サングラスを脱ぎながら近づいてくる。
「ご老人、赤信号でお渡りになってはアカんでござるヨ。ながーく持ち堪えなければならない尊いお命ですからね」
男は半身に桂馬の顔を見、ニヤリと笑い踵を返した。桂馬は男がオートバイに跨りエンジン音を響かすまで棒立ちになっていた。我に返った瞬間、
「ばかやろう」
男の背中に怒鳴った。下から熱い塊が突き抜け全身がふるえ自分でも驚く罵声だった。
桂馬は人にあからさまに馬鹿にしたような、老人呼ばわりされた記憶がこれまでになかった。
桂馬は男がオートバイの轟音を響かせ去って行った方向を見続けていた。信号は数回変わった。横断歩道を渡る人の足音に引きずられるように桂馬は渡った。
オートバイの男の言葉使いや態度の残像を抱きながら喫茶店の階段を上がった。
横断歩道を見下ろす窓際に腰を落とした。ゆるやかな坂の道玄坂を見るともなく見下ろした。間断なく車が走り間遠の信号を待ち、人の固まりが横切る。オートバイの男の残像は薄くなっていったが「ご老人」の男の言葉の棘は刺さったまま消えなかった。
桂馬は男の言葉の棘を振り払わなければならない、今日は温子の思い出に会いにきたのだ、焦りは続いた。
「いらっしゃいませ、何にいたしましょう」
ウエイトレスの声が助けた。桂馬はコーヒーとモンブランを頼んだ。

あの時も同じ席だった。温子はモンブランを頼んだ。好物だと云った。コーヒーカップの受け皿にモンブランを取り分け、
「ハイどうぞ」悪戯っぽく微笑み桂馬を見上げた。
「僕は甘いもの、苦手なんだ」
「そうですよね、森田さんから聞いたわ。でもモンブランは他のお菓子と違うの。甘味ではなく風味を味わって下さい」
「私はモンブランが大好きです。モンブランは父の味です。私の父は寡黙の人で私達にもあまり話しないの。ちょっと離れた感じ。でも時々要点だけ話すの。優しさがこもっているンです。大げさだけど父が雪を頂いた峻嶮な山、モンブランのように思えるの。山のモンブランは写真で見るだけでも何かを語りかけて来るような山よね」
「そう。では食べよう。食べて霊峰モンブランにあやかろう」桂馬は温子の父を思い描き半分のモンブランを見つめた。今日の温子は饒舌だと思った。温子の顔が眩しかった。

温子は母に呼ばれて郷里の博多から帰ったばかりだった。縁談だった。相手は父の友人の国会議員の後継者だった。母は将来、何の苦労もない議員夫人だと熱心に薦めた。温子は男を異性として意識することが薄かった。母の突然の勧めに戸惑った。親戚同然の付き合いの議員家のことも考え温子の心は揺れた。
「一生は自分のものだ、それだけ考えて結論すればいい」父の一言は温子の雑念を熊手の如く一つ残さず掻きとった。
温子は雑談調で要点だけを話した。
「あら、ごめんなさい。こんな話、するつもりなかったのに。モンブランのせいよね。食べましょう」
桂馬は温子を台湾料理の店、麗郷に誘った。温子の話の続きを引き出したかった。
温子は暖簾のようにぶら下がったソーセージに驚いた。桂馬の期待はよそに温子の話はソーセージをきっかけに博多の屋台や天満宮門前の土産物屋の話に途切れがなかった。
桂馬は温子の楽しげな話に相槌を打ちながら生ビール二杯と紹興酒一杯を飲んだ。
店を出ると予報どうり雨だった。短い冬の日は暮れかかり薄暗かった。桂馬は物を持ち歩くのを嫌った。たぶん雨になるだろうと思ったが傘は面倒だった。
「相合傘でいきましょう」温子が折り畳みの傘をさしかけた。二人は百軒店の坂に通ずる坂を登った。百軒店の奥に名曲喫茶のライオンがある。学生時代にアルバイト先で知り合った友人と時々行った。桂馬はクラシック音楽が好きというわけではなかったが店の雰囲気が気にいっていた。桂馬は温子をライオンに誘う積りだった。辺りの雰囲気はその頃のままだった。
桂馬が立ち止まった。右側の路地にラブホテルの艶めかしい明りが並んでいた。
桂馬が指をさした。
「あれ何だか分かる?」温子が振り向いて顔をそむけ
「そのくらいは私だって分かります」
「行ってみる?」
一瞬、温子の鋭い目が桂馬の顔を射た。少女の風貌を残す温子の顔が、恐ろしいほどに変わった。温子は急にうつむき、
「馬鹿にしないでください」
つぶやき坂を駆け下りて行った。傘が雨に濡れて黒ずんだコンクリートの階段を2,3段転がり落ちた。
桂馬は温子の姿が麗郷の角に消えるまで立ち尽くした。
「冗談に云ったのに」

桂馬が勤めを退いてから久しい。
働いていた頃は勿論だが、仕事を退いてもしばらくは嬉しい事、悲しい事、腹の立つこと、ときめくことなどは続いた。
年を追うごとに人との交わりが薄くなって行き今では皆無に近い。物事に対する感性も薄らいでいく。起伏の無い時間は平たく白い布のように伸びて行く。
桂馬は過去に我が身に起こった人の世の起伏の思い出を思い出すままに、白布の上に描いて生きて行くのだろうか。桂馬ははっきり意識してこう思う訳ではない、時おり漠然と浮かぶのだ。

桂馬は温子との思い出の坂を登った。昼間のラブホテル街は煤けて見えた。
百軒店の路地の奥の名曲喫茶、ライオンをふり返り見つめた。
「寄ってみてもつまらないナ」
俯き地面を見ながら百軒店の凸凹に擦り切れた煉瓦道をゆっくり下りた。手にした折り畳みの傘を見た。傘は色褪せていた。
疎らに行き交う人も両側の店も桂馬とは無縁のように色も見えず音も聞こえなかった。
立ち止まり、俺は何をしている?桂馬はニヤリと笑ったが何の意味も感慨も全くなかった。

つづく

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09.09
Sat
十数年前、箱根の旧東海道を歩き、イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)を見つけた。
忘れていたがフト思い出した。
伊吹麝香草は夏の花。そろそろ終わりだろうと思ったら、
矢も楯もたまらず小雨は降っていたが宮沢賢治なみに、雨にも負けずと
「紙人形ではないのだから溶けはしないだろう」と怪しげな決心をして
湯本から芦ノ湖まで歩いた。残念ながら伊吹麝香草は見つからなかった。
記憶違いで旧道から山のコースに入って見つけたのだろう、
人の記憶は曖昧で怪しげだナと、ブツブツ。
悔しい思いを引きずり重い足を引きずり歩き、ついには諦めた。

旧東海道は現在、舗装された車道。車道を縫うように昔の石畳が、
残されている。鬱蒼と茂る大木の中の石畳は苔むして滑りやすく
難渋したが常の生活にはない静かな時間は宝石のように重たかった。

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オジギソウ(お辞儀草)眠り草とも。 マメ科 2017年8月31日 
箱根、旧東海道にて写す。以下同じ。

湯本の旧道の入り口から1キロ程、豪華な旅館から民宿まで、
色とりどり立ち並んでいた。
箱根には一体どの位、宿泊施設があるのだろう。
高級旅館の前に立ち止まり、オレは泊ったことはないナとブツブツ貧乏を愚痴った。
人家が途切れた、昔畑だったような処にオジギソウが咲いていた。
雑草を刈り取ったばかり、この一本が刈り残されていた。
「オヤ、きれいなのが咲いてるゾ!」刈ったオジサンの声が聞こえるようだった。
ネムリグサは江戸末期ブラジルから渡って来たそうだ。
外来種と栽培種には興味がない筈だが、やはり可愛かった。

カメラの電池を忘れ湯本の写真屋を探しまわったが、ことごとく廃業。
電子機器の急速な進歩に世の中はドンドン変わって行く、
身近なものがどんどん消えていく、などとまたまた愚痴った。
小田原に引き返して買うことも考えたが時間切れ、
止む無くガラケイで写さざるを得なかった。画像不鮮明。

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ウド(独活) ウコギ科

ウドは東京の多摩地方の名産。ムロの中でモヤシのように栽培する。
真っ白できれいな野菜。ほんのり香り酢味噌和えやサラダが美味しい。
畑で栽培しているウドと野生のウドは同じ種だと聞いたことがある。
野生のウドは山ウド。山育ちは香りがきつい。
水に晒すか、そのまま天ぷらが美味しい。でもこう大きくなったら、
食べられる訳がない。文字どおりウドの大木。
別の意味もあるらしいが、ここではピッタリ。
一頃、三多摩はウド畑が多かった。
ウドを知らなかったので不思議な作物だと思った。
芽が出てもそのまま、美味しそうな実もならない
冬、堀り起こし畑の隅に山積みにしていた。
畑に植えているのだから作物だろうが一体これは何?と不思議だった。
春先にムロにいれて白い芽を出させるなど想像も及ばなかった。

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樫の木坂

「♪箱根の山は天下の嶮」の歌のように石畳は苔むして滑りやすく
昔の人の難渋が思われた。中でも樫の木坂。
今は急な長い石段になっていたが昔は石畳、箱根一番の難所だったと
案内板にあり、一首の歌が添えてあった。
「かしの木の、坂を越ゆれば苦しくて、ドングリほどの涙こぼるる」
思わず笑ってしまった、昔の人の苦労も忘れて。“ドングリほどの”が
笑いを誘ったのだ。たぶんオレほどの下層の人の作だろう。
そこで現代人のオレは
「かしの木の、坂は車で登りたい、ドングリほどの汗がこぼれた」
彼、怒るだろうか?
他に猿も滑ったという猿滑坂や、敵討ちに向かう曽我十郎がこの坂を登った時、
刀の試し切りに切ったという石が残る割石坂など、昔を偲ばせた。

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オトコエシ(男郎花)スイカズラ科

よく知られたオミナエシ(女郎花)にそっくり。
素人目には花の色が白いところが違うだけ。
女郎花は秋の七草、歌に歌われ詩に詠まれた。
男郎花は見向きもされない。身につまされて可哀想と、しきりに。
女郎花に比べ男郎花は強そうに見えるからとものの本ある。

昔のごはんは蒸しご飯で硬かったそうだ。栗ご飯は軟らかだった。
固く白いご飯を男飯、軟らかい栗ご飯を女飯と呼んだそうだ。
栗ご飯は黄色。女郎花の名にした。固く白いごはんは男郎花になった。
誰が付けた名だか知らないが粋ですね!栗飯ではなく粟飯だとも。

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ワルナスビ(悪茄子) ナスカ科

薄紫の反り返った花弁の真ん中に黄色く目立つ雄しべが4,5個、きれいだ。
茄子の花にそっくり。実は丸く黄色で茄子とは大違い。
優しい花だが鋭いトゲがある。
悪茄子の名は鋭いトゲのせいか、茄子の実とあまりにも違うからかは、
分からないが、悪は少し大げさで可哀そう。
アメリカから明治の終わり頃の渡来だそうだ。

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芦ノ湖
旧道の終点、芦ノ湖。

11時に出発、到着4時半、途中オニギリ🍙タイム10分だけ。
足はパンパン。
霧雨の芦ノ湖は、霧の摩周湖ばりの景色。観光客は数えるほど。
都合よくバスが待っていた。
珍しい花には会えず悔しさしきり。
バスは容赦なく身体を揺すり強引に眠りに誘い、
恨みの伊吹麝香草の夢に誘った。
湯本で降りるつもりだったが終点“小田原”のアナウンスに夢は覚めた。
小田原でよかった、特別急行が又しても待っていてくれた。夢に救われた。
夢に救われた男の能がある。「邯鄲」
能「邯鄲」は人生とは何ぞやと考えさせる能。

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「邯鄲」使用面、人生に迷う若い男の面相
「高砂」など若い神がシテの神能にも使われる。
苦悩する人間は、神にも通ずるというのだろうか。

息もつかせず展開するドラマに圧倒される。
先ず旅籠の女主人が登場。近親感にドラマの進展がもどかしい。
女主人は仙人の法を使う旅人に宿泊代にと「邯鄲の枕」
を頂いた、この枕で一睡すると悟りが開けると独り言をいう。

“憂世の旅”に苦悩する青年、盧生。
羊飛山に住む高僧に人間如何に生きるべきか、教えを乞うため旅立つ。

憂世とは何?辞書には仏教的厭世観とある。人間は物を思う動物、
仏教的はさて置いて庶民レベルでは生活苦、人と人との齟齬、
男と女の間のもつれなど、共通した“憂世”もあろう。

この能では盧生の迷いの解決が明快に語られる。
頭を覆った頭髪、黒頭(くろがしら)が人生に迷った盧生を表しているようだ。
宿の女主人は盧生に粟の飯が炊きあがるまで、邯鄲の枕で一睡を勧める。
盧生は邯鄲の枕を頭に寝台の上に静かに横たわる。
勅使が登場、いきなり寝台を叩いて盧生を起こし楚国の帝が盧生に譲位するという。
寝台はたちまち玉座に変わる。
豪壮な宮殿の佇まいは謡で描かれる。

当時の中国の王朝は世界に冠たる王朝だった。
「庭には金銀の砂を敷き」「西に三十余丈に黄金の山を築かせては」と謡う。
あながち過大な誇張ではないという。

不老長寿の仙家の酒を飲むなどの栄華の生活を謡で語り、
歓楽の酒宴は子方の舞で見せる。
歓楽の極みを見せる「楽」を盧生自らが舞う。
この能一番の見どころ。舞の大半を狭い一畳台で舞う。
広々とした宮殿に見立てて舞うと云われる。
鬱然とも見える一畳台の舞は、突然覚めるかも知れない夢、
はたまた華やかな人生も一時の儚い夢、と語っているようでもある。
舞の中ほどに夢が覚めかけたとする「空下り」や、意味深にも思える
「休息」の型など工夫が凝らされている。

急転直下、盧生の夢は覚める。
橋掛から舞台に駆け込み、一畳台に飛び上がり横臥する。
夢と現実の落差を表す過激な型だ。
盧生が見た栄華の夢は粟の飯の炊きあがる間だった。
夢から覚めた盧生の茫然とした姿は世の無常と、絶望的悟りを強要する。

能「邯鄲」の詳しい解説はこちら
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09.02
Sat
高尾山は山頂に薬王院のある、都心からも近く外国人にも人気の山。
裏高尾は高尾山の裏、甲州街道の旧道沿い一帯。
色々な野草が見られることでも知られている。
八月に入って雨続きだった。テレビの予報とにらめっこ、
晴れ間があると聞いて飛び出した。
お目当てはキツネノカミソリ。
春の花を見に行った時に葉っぱを確認、見当をつけておいた。

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キツネノカミソリ(狐の剃刀)ヒガンバナ科 
2017年8月17日裏高尾で写す。以下同じ。
 

キツネノカミソリはヒガンバナを日本調にしたような花。
ヒガンバナは中国渡来とも云う異国情緒を漂わせた花。
キツネノカミソリはヒガンバナのようにどこにでもある花ではないようだ。
艶やかなミカン色がきれい。大好きな花の一つ。猫の額の庭でも盛大に植えたい。
名は葉っぱが剃刀の形だからだという。なぜ狐かは分からない。
狐はずる賢い顔。ウサギのカミソリの方がぴったりではと思うが人の思いは様々。
それにしてもキツネは毛むくじゃら、何処を剃るのだろう?
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タマアジサイ(玉紫陽花) ユキノシタ科

アジサイは梅雨を代表する花。へえ?今頃満開?と思ったが、
玉アジサイは遅咲きだそうだ。
登山道沿いに花盛りだった。丸い蕾が牡丹の蕾に似て可愛い。
まるで和紙で手作りしたような面白さ。


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クサギ(臭木) クマツヅラ科

相模湖からの登山口に咲いていた。人家の近くでよく見かける。
花はそれほどきれいだとはいい難いが実は底光りする青色、宝石のように艶やか。
名のように臭い。悪臭といえる。
子供の頃、祖母が若芽を茹で天日に干して食べていた。
祖母にすすめられて食べた。臭みはなく今まで食べたことのない食感で、
美味しかった記憶がある。
母は「食べるものに困っている訳でもなし、何も臭いもの食べなくてもいいものを」
とこぼしていたことを思い出す。
悪臭のするものを食べる、不思議で仕方がなかった。
年を経て、山菜の本に紹介されていた。
全国的に食べられているのだと、祖母や母に教えたかったが祖母も母も、
すでにあの世の人となっていた。

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小仏峠(こぼとけとうげ)

昔の甲州街道の峠。
昔は草鞋掛けの人や、荷や人を乗せた馬がこの峠でホッと一息ついただろう。
荒い息使いが聞こえるような峠だった。
お地蔵さんが広場の隅に立っていて中年のおじさんが手を合わせていた。
この人も昔を偲んでいたのだろうか。
立っている足の下はJR中央線と中央高速のトンネル。
昔と今、思い合わせて感無量だった。
小仏峠から城山を越え相模湖まで感無慮を引きずって歩いた。


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浅川神社(浅川神社)

“♪村の鎮守の神様の、今日は目出度いおお祭り日、ドンドンヒャララドンヒャララ♪”
子供の頃、歌った唱歌。この頃トント聞かない。
今の子供はカッコ悪いのか昔の歌は歌わない。
小仏峠の登山口に浅川神社があった。小さな社だったがこじんまりと由緒ありげだった。
夏のお祭りなのだろう10人程の村人が社殿前で頭を下げ祝詞を聞いていた。
遅れて来たらしい年配の人に、
「由緒のあるお社のようですね」と声を掛けた。ちょっと困ったよう顔をしたが、
すぐにニコニコ顔、
「昔は、小仏峠にあったンですよ。小仏は登るのに大変でね、お祭りに困って、
あそこに移したんですよ。ここは三度目のご遷座です」指さす方向に中央高速が見えた。
神様も中央高速には勝てなかった、とは云わなかった。
子供や若者の姿はなく“ドンドンヒャララ”もなかったが、
おじいさんやおばあさん、おじさんやおばさんの神への思いが
満ちている広場だった。

こんな時に思うのだが、名のあるお寺に参拝するとき、拝観料を納める。
お寺は世の悩める男女老若が仏に縋る処と云うのが常識だと思うが、
お寺の運営に、お賽銭とお布施だけでは足りないからだろうか。
 拝観料を納める神社は聞いたことがない。
神道は日本人の心の奥底に沁み込んでいて支援者に事欠かないからだろうか。
結婚式や葬式で神道や仏教を意識する程度の情けない者が云々するのは憚りだが。

古来日本の宗教は神道と仏教。神道は日本の国と共に生まれた宗教という。
仏教は西暦500年代、インドから中国経由で渡来したという。
嘗て仏教大国であった中国は影も形も南無阿弥陀仏に近く、
東南アジアに伝わる小乗仏教の国、タイやミャンマーには遠く及ばないが、
大乗仏教では日本は教世界一。日本人の生き様を永い間導いて来た。

能の作品で仏教色のない作品は皆無に近い。
多分、能の作者が敬虔な仏教信者だったからだけではなく、
人々の生活が仏教基盤だったからで必然的に生まれた能の形かも知れない。
禅宗に深く帰依した能の作者がいた。金春禅竹。
禅竹の作で仏教の教理を説いた作品が重く扱われる。
その一つに「芭蕉(ばしょう)」がある。


曲見
「芭蕉」の使用面。「曲見(しゃくみ)」石川 龍右衛門 作
人の世の苦しみ悲しみを知った中年女性の相。


能「芭蕉」は感性で見る能と云っていいかもしれない。
物語は至って簡潔。
法華経を読む僧の庵の前に毎夜聴聞に訪れる女がいる。
不審する僧に女は仏縁を結びたいのでしばらく庵の内に入れてくれるように、
懇願する。
僧は男、女の願いを断るが女の更なる懇願に読経の間だけと招じ入れる。
昔は日本でも戒律が厳しかった。

仏教国タイは小乗仏教で戒律がきびしい。ガイドの人に聞いた話だが、
坊さんが、何の修行中だか忘れたが何かの修行の終わり頃に町に出るそうだ。
その時女性の着衣の袖であっても触れると修行を初めからやり直す
という戒律があるそうだ。

女は草や木も成仏するという薬草喩品を聞いて実は私は芭蕉の精であると、
ほのめかし、折しも鐘の音が聞こえ「諸行無常となりにけり」と前場を終える。

後場は自然の現象を情緒的に歌い上げ、
これらは真実の具現であるとするクセが中心となる。
クリに「それ非情草木と言っぱ、まことは無相真如の体。一塵法界の心地の上に
雨露霜雪の形を見す」と謡う。
難しい仏語で語られ何のことだか全くわからない。
“心を持たない草や木、その色や形は人の想念を超えた真実の実体であって、
一つの小さな塵の中にも宇宙を含み、水が雨露霜雪の形を見せるように草木も
その時々、様々の姿を見せるのだ”という事らしいが
字面は分かるような気もするが本当の意味は全く分からない。
クセでこの難解のクリを具体的に自然現象の例を挙げて説いているのだろう。
だがこの能には難解な語句の中に理解できずとも身体をスッポリ包み込む、
理解を超えた存在“感ずるもの”があるように思われる。
前場の女の出現や、クセの閑寂な描写がそれを助ける。
女が舞う「序ノ舞」も、他の曲と同じ序ノ舞だが全く違う世界を見せているように感ずる。
能には理解できずとも“感ずる”能もあり能の表現形式は多様極まりない。

  能「芭蕉」の詳しい解説はこちら

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