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03.24
Sat
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  ミスミソウ(三角草)?スハマソウ(州浜草)?キンポーゲ科
2018年3月3日写す
三角草かスハマ草かどちらかだろうが、学者でも判別が付かない
こともあるらしいからまして素人、どちらでいいことにしよう。

三角草も州浜草も鮮やかな白、薄紫、青紫色など多彩で美しい。大好きな花だ。
古い話だが新潟出身の友人がいた。実家は農家だった。
新潟にはオオミスミソウが咲くと山草の本で読んだので、期待半々で
友人の実家の両親に採取を頼んだ。
送られてきた花の状態を見てびっくり。無造作に引っこ抜いたように、
中には根際から千切れて根無しのものもあった。
友人の言。親父が裏山から採ってきたと云っていた。
東京の人は変わっている。こんな食えないもの何にするンだ?
漢方薬にでもするのか?
花?バラの方がよっぽどきれいだよ。
自然に囲まれ、きれいな珍しい花も見慣れればだだの雑草。
人に揉まれ、ほとほと疲れ果て花に助けをお願いする都会の人。
人間様々。

葉っぱに深い切れ込みがあり、先が尖っているのが三角草、尖ってなくて
丸いのが州浜草だと聞いていたが、そうとばかりは云い難いと学者にも
判別は難しいらしい。
州浜の名は、出っ張った砂浜の形の紋所「州浜」に因んだのだろうか。

仕事が一段落、所在なしに野川公園にある自然観察園でもとぶらりと出かけた。
自然観察園は野山の花がごく自然の状態で植えてあるので気に入っている。
節分草は終わっただろう、福寿草は咲いているだろうが我が家の猫の額の庭にも
咲いている。梅は満開だろうが珍しくもないと何時ものカメラは持たずに家を出た。
公園近くまで行って何やら胸騒ぎ、待てよ?全く予想外の花が
咲いているかもしれないと抵抗なしに引き返し、カメラを肩に取って返した。
胸騒ぎ的中!憧れの花が咲いていた。
まったくの幸運だった。だが不遜きわまりない事だが頭にくっきりと
浮かんだ人がいた。平忠度(たいらのただのり)。

忠度は引き返して不幸を招いた。
平家の武将であり時の歌道の一人者藤原俊成に師事した歌人でもあった。
一の谷の合戦で岡部の六弥太に討たれた。
能の題材には打って付けの人物だろう。

忠度の歌「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が
能「忠度」の主題となっている。
忠度の霊は塩焼の老人で現れ、宿を所望する旅の僧にこれに勝る宿はないと
桜の木陰を勧め、「行き暮れて」の歌を教え姿を消す。
何とも美しく、ゆかしい前場を創り出す。

桜の木の下で仮寝の夢うつつの僧の枕に、甲冑姿に箙の矢に短尺を付けた
忠度の霊が再び姿を現わす。
「行き暮れて」の歌は勅撰である「千載集」に採られたが、
忠度は朝敵の汚名を被った身、勅撰集に作者の名を載せるのは憚られ、
詠み人知らずとなった。
忠度にとってあの世での妄執となったと訴える。

忠度は一の谷の合戦に赴く途次、狐川から引き返し千載集の選者藤原俊成に
「行き暮れて」の歌を採り入れるよう懇願、願い叶い戦場へ赴いた。
忠度は文武両道の勇将だった。
岡部の六弥太に討たれた様子を語る。
劣勢の平家は船に逃れる。忠度も船に乗ろうしたが何となく
後ろを振り返ると源氏方の岡部の六弥太掛け寄せてくる。
忠度は引き返し、二人は馬上で組合い馬より下に落ちる。
忠度は六弥太を取り押さえるが六弥太の郎党に右の腕を切り落とされる。
忠度はこれまでと観念、片手で合掌、念仏を唱える。
六弥太は忠度の首を打ち落とす。
凄惨な場面だが現代の演劇の様に生々しい描写ではなく
能の型の範囲で演ぜられる。
六弥太は箙に付けられていた短冊の歌を読む。音に聞こえた忠度の歌だった。
「行き暮れて」の歌を繰り返し繰り返して、忠度の歌への執心を強調する。

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仕舞「忠度」 山田伊純
“彼の六弥太を取って抑えて”
仕舞は一曲の中の見どころを面、装束を付けずに紋付袴で舞う。
又各別の情趣を醸す演式

忠度は今の世でもサラリーマンや学生に親しまれた人だった。
JRの乗車券がスイカになる以前にサラリーマンや学生は定期券の範囲外の
遠くへ行った帰りに現地で一駅間の切符を買い定期券で降り間を無賃乗車した。
薩摩の守とかキセルと云った。
薩摩の守忠度(只乗り)でありキセルは金属の雁首と吸い口の間が只同然の竹だから。

   能「忠度」の詳しい解説はこちら

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03.17
Sat

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フクジュソウ(福寿草) キンポーゲ科

多分に大げさだが人生何が起こるか分からないとよく聞くがこの事だろうかと。
去年、ゴミ出し場に転がっていた鉢植えを拾って来て庭の隅に埋めておいた。
多分、正月の縁起に買って花が終わり用済みで捨てたのだろう。
水切れで葉っぱも萎れ、多分枯れるだろうと思ったが可哀そうなので
土に返してやろうと埋めておいた。
厳寒の中突然、蕾が顔を出したのでびっくり。
忘れていたし、まさか生きているとは思わなかったので嬉しく、この花の名のように
神様から福寿を授かったと本気で思った。
寒い地方に多いそうで東北ではツチマンザクと呼ぶそうだ。
雪解けの土から他の花に先がけ、先ず咲くという意味だそうだ。
初めてこの花に会ったとき暖地出身には見たこともなく驚きだった。
土の中から黄金色に輝く大判小判がザクザク!に見えたから。
昔は八王子周辺にも咲いていたという。八王子草と呼んだそうだ。
高尾山や裏高尾、相模湖周辺、奥多摩、五日市周辺を歩くが未だ見たことがない。
環境の激変だろうか。

辞書には福寿とは幸福で長命であることとある。
古くから人は神に福寿を祈って来た。能の起源だという。
能の初番には神が主役の能を据え世の平和と人々の福寿を祈る。
この類いの能の代表格が「高砂」だろう。

高砂
“掻けども落ち葉の尽きせぬは”高砂の落ち葉を掻く老翁

正月、老人夫妻が松の落ち葉を掻く掛け軸を飾る。能、高砂の一場面の絵。
能「高砂」は兵庫県高砂が舞台。
お婆ちゃんは当地、高砂の人。お爺さんは高砂の対岸、住吉の人。
夫婦遠く離れて暮らすとはと不審する阿蘇の神主友成に、お婆ちゃん、
「山川万里を隔つれども、妹背の道は遠からず」
落葉をかき集める場面は双葉の松の結びつきの久しさと
硬さを語っているのだろうか“久”の字を書くように演ずるという。
結婚式の祝言に「高砂」を謡うのも納得。
結婚式では「高砂や、この浦船に帆を上げて」と謡う。
二人の老人は高砂の明神と住吉の明神の化身だった。
住吉で待つと言い残し姿を消した老翁を神主、友成は新造船に乗り後を追う。
結婚という船出にはこのうえなく相応しい祝言の謡だろう。
「四海波静かにて」と世の平和を寿ぐ小謡を謡うべきとするもあるが、
やはり「高砂や」が結婚式にはうってつけ。

後場では胸をときめかして待つ阿蘇の宮の友成の前に颯爽と現れた
若々しい住吉の明神が社人に楽を奏するよう命じ颯爽と神舞を舞う。
急調の囃に乗って舞う「神舞」はこの能、第一の魅力だろう。

   能「高砂」の詳しい解説はこちら

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03.10
Sat
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菜の花(アブラナ科) 2018年2月16日 伊豆下加茂にて写す

2月15日、河津桜を見に行った。毎年この頃が見ごろなので、
信じて疑わず調べもしないで行った。
今年は異常な寒さ続きで二週間遅れ、蕾も固いものが多く早いものでも二分咲き程度だった。
桜がだめなら菜の花をと花見の序でにいつも立ち寄る田んぼに
行ってみたが菜の花も例外ではなく二週間遅れだった。
コンクリートで固められた小川だけが目立った。
♪春の小川はさらさら行くよ、エビやメダカやコブナはこれでは
住めないよ♪とやけくそに歌ってやった。

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満開の菜の花 アブラナ科
昨年2月16日同じ田んぼで写す

かなりの面積の菜の花の田んぼだが鑑賞用だそうだ。
近くの下賀茂温泉の下を流れる二条川の川岸に植えられた桜と
同じに客呼びに植えているのだろうか。
菜の花は、昔は種から菜種油をとった。今はほとんど菜種油は輸入だという。

花がまだ開かない蕾の菜の花は美味しい。
辛し和えが絶品。ほろ苦味に春の味が満ちる。
去年の菜の花は満開で食べられそうなのはなかったが、
今年は美味しそうな蕾が沢山だった。思わず手が出そうになった。
花泥棒は泥棒ではないと昔から言われていると聞いている。
だが動機がよくない。
眺めるためだったら泥棒ではないだろうが食べるためはどうだろうかと
迷った末止めた。
綺麗な花にはついつい手が出るのは人の常だが、能「泰山府君(たいさんぷくん)」ではなんと天人が爛漫の桜の枝を盗む。
盗みは偸盗、仏戒十悪の一つだが能「泰山府君」は偸盗が主題ではない。
花泥棒の天女と閻魔大王の子、泰山府君という奇想天外なキャラクターを登場させ
爛漫の春を現出させる一天の曇りもない楽しい能。
前場に桜の枝を懐に抱いて隠し、天に逃げ登るという珍しい型もあり
妖艶なほどの天女の姿が美しく爛漫の春を呼ぶ。
後場の泰山府君の活躍は地獄の王、閻魔大王の息子の威厳を見せるが
恐ろしさは春風駘蕩の長閑けさ、おおらかさに変わる。

泰山府君
花を盗み抱いて天上を目指す天人

桜の花好きの桜町中納言は桜の花が七日間の命であることを惜しみ
ものの命を司る神、泰山府君に花の命を延べる祈願の祭りを行う。
爛漫の花盛り、地上に降り立った天女はあまりの美しさに一枝手折り
天上に持ち去る。
通力で花盗人が天女であることを知った泰山府君は天上から天女を
呼び寄せ花の枝を元の木に返させて接ぎ、風雨から花を護り花の命を
二十一日の間延ばす。

この能には他の能にはない工夫があるように思える。
前場で、如何にして花を護るかと述べるワキ桜町中納言と、
如何にして桜を盗むかと思案を述べる天女の言葉は問答形式だが
中納言と天女のそれぞれの独白になっている。
中納言は地上の人、天人は天上の人と印象づけさせられる。
天女は前場のシテ、後場ではツレになる。シテ至上主義の観点からは
奇異に思えるかもしれないが演劇として見れば不自然は感じない

能「泰山府君」の詳しい解説はこちら

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03.03
Sat

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開花待ちの河津桜並木 2018年2月16日写す

伊豆の河津川沿いのカワズザクラをこの時期の見に行くのが
年中行事のようになった。
花のごく少ない極寒の中に爛漫と咲く。
ワンカップの酒を片手に花を見上げながらぶらりぶらりと歩く。
この世の極楽とはこの事かと思ったりして。
伊豆は暖かい土地、小春日似の天気ならば超極楽。
今年は残念ながら寒さのため二週間遅れで期待外れだった。
だがガッカリはしなかった。人生色々だからと。
「世に住めば憂き(浮き)節しげき川竹の」
能「藤戸」では我が子を殺された母親がこう嘆く。
これに比べれば爪の垢にも満たない。
ちょっと大げさ、的外れの云いようかもしれないが。

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去年、満開の河津桜 2017年2月16日河津川

去年、今年と七滝の入り口の民宿に泊まった。
夕食の豪華に驚いた。なんとキンメダイの船盛が現れた。
間に髪を入れず箸が飛びついた。
いきなりノックもなしにドアが開き襖が開いて宿の亭主が現れた。
「もう箸を付けたンですか?」
「ハイ、御馳走さまです。豪華!感激です!」
「実は隣のお客さんの特注だったンです」
「箸を付けたンだったら仕方ありません。サービスします」
悄然と出て行った亭主の姿が忘れられなかった。
今年も同じ民宿に泊まったのは亭主のカン違いを期待した訳ではないとは
思うが亭主の愛嬌が気に入ったのだ。
亭主はケロリと忘れていたようだったが、女将は憶えているような素振りだった。

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ポツリと開いた河津桜 2018年2月16日写す

河津川の河口近くは海に近く暖かいのか二分咲きの木が数本あった。
河津桜は見慣れたソメイヨシノより花が大きくピンクの色も濃く、
一そう華やかだ。満開の枝を在原業平に担がせたい。

能「小塩(おしお)」で老人姿の業平が桜の枝を担いで現れる。
造花だが本物の桜の枝、取り分け河津桜を担がせたい。
桜の枝を担ぎ花見に現れた老人の業平は爛漫の春に酔いしれ
二条の后との恋の思い出の歌を口ずさむ。
その姿に興味を持った花見の客が歌の謂れを問うと
老人は歌の謂れを語り自分が業平であることを匂わせ花見の酒に酔い
「よろぼいさぞらい」去って行く。
花見の客は所の人の話を聞き老人が業平の化身だと信じ再来を待つ。

花見車に乗って華やかに現れた業平は嘗て契った女達を偲び二条の后を
偲んで舞い「桜にむすべる夢か現か世人定めよ」と曙の花に消える。
物語性はさておき、爛漫と咲きほこる桜のなかで、夢か現かおぼろおぼろと
二条の后との恋を語る。

雲林院
能「雲林院」“忍び出るや如月の黄昏月もはや入りて”
二条の后との逃避行を見せる業平

業平を主人公に二条の后との恋を主題にした能がもう一つに「雲林院」がある。
題材も扮装も前、後場とも全く同じだが内容が全く違う。
「雲林院」の前シテは花守の老人。
伊勢物語の愛読者のワキが夢の告げに花盛りの雲林院を訪れる。
あまりの美しさに一枝手折る。
老人が現れて咎め、これを切っ掛けに桜を読んだ古歌を引き合いに問答を始める。
世阿弥の作品に相応しく能作法に則った確かな構成。
後場のクセでは二条の后との逃避行を濃密に描く。
「小塩」も「雲林院」も「序ノ舞」を舞うが両作品の内容から与える印象が変わる。
序ノ舞は優艶な女性の舞。業平は優艶な女性に準ずるということだろうか。

能「小塩(おしお)」の詳しい解説はこちら。「雲林院」はこちら

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