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01.26
Sat

ネコの額と云いたいところだが、みすぼらしい狭い庭だから猫に申し訳ない。
だが色々な花が咲く。結構珍しい花も咲く。園芸種は好みではないが誰か
捨て行くので可哀そうだから植えている。

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ホトトギス(杜鵑草)ユリ科 奥多摩産 2018年11月27日写す

遅く山から帰り仮に鉢に放り込んで庭の片隅に埋めて置いた。
気が付くと茎がにゅうーと伸び蕾を持っていた。悪くないと掘り起こした。
ホトトギスは普通、花を2,3個、茎の先っぽにつけるが一個だけだった。
一個というのも又いい。千利休の朝顔並みの風流な奴だ。
ホトトギスの仲間には姿かたちがよく、綺麗な花の咲かせる種がある。

神奈川県の丹沢の沢にサガミジョウロウホトトギス(相模上臈杜鵑)が咲く。
おっかない沢登りなどして散々探したが終に会えなかった。
東京湾でマグロを探すようなものだと諦めた。昔は東京湾沖にマグロが泳いでいた。
だから江戸前寿司にマグロがあるのだというが今は遥か水平線の彼方の産。
江戸の前は太平洋、マグロ漁場に続いている。遥か彼方ではあるが江戸前に
間違いないと云われて、ウンと頷くしかないだろう。
もし東京湾でマグロが発見されたらゴーンさん騒ぎはそっちのけだろう。
そうしたらまた丹沢探しを再開するかも知れない。
変な話に横滑りだが気になっていたので。

ホトトギスの名は花の模様が鳥の杜鵑の胸毛に似ているからだという。
イギリスではヒキガエル花とよぶそうだ。ヒキガエルの胸の模様に似て気持ち悪いから。時鳥は日本では歌や詩に詠まれた名鳥だが。所変われば品変わるを,地で行く、ですね。
美味しい山菜でもある。ほんのりとキュウリの味がする。キュウリ草とも。

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ヤマラッキョウ(山辣韭) ユリ科 山梨産 2018年10月22日写す

畑のラッキョウと全く同じに見えるから山ラッキョウだろうが、
出来たら別のきれいな名を付けて欲しい花だ。
毎年目を楽しませてくれる。水やりを忘れてもへこたれず元気だ。
頂いた経緯はすっかり忘れてしまったが5、6年前から毎年花を咲かせる。
山菜でもある。臭みも辛みも淡泊だそうだ。食べたかとはない可哀そうだから。
畑のラッキョウで我慢しておくことにしている。

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ダイモンジソウ(大文字草) ユキノシタ科 新潟産 2018年10月7日写す

水気の好きな花。かなり前、山梨の西沢渓谷で滝壺にせり出していた岩の上に
咲いていたのを採ろうとして滝壺に落ちた。
バチが当たったのだと散々揶揄われた。「人生は思い出を作る作業だ、
これも大きな思い出の一つ」と変梃りんに応じた恨みの花。だが恨めない。
恨むには清楚できれいすぎる。

花の形が“大”の字に咲くから大文字草だそうだ。
大文字と云えば京都の大文字焼。この花の名付け親は大文字焼を意識して
いたのかも知れないと勝手に思う。“大”の字は仏教の教理を表わす字の
一つらしいが難しくて解るわけがない。大の字に燃える炎を見ていると
字の大事さを教えているように見える。
文字は無くてはならない大事な意志伝達道具。迂闊に文字を書いて
大失敗を仕出かした人がいた。能「草紙洗」の大友黒主。

「草紙洗」は小野小町、紀貫之、壬生忠岑、河内躬恒などの宮廷歌人、帝、官女
など八人の豪華キャストが居並び、さながら宮廷絵巻をみるような華やかな能。
この能の狙いでもあるのかも知れない。話は掘り下げられずに美しさを保ち展開する。

宮中の歌合せにために準備した小野小町の歌を、歌合せに勝ちたい一心の大友黒主が
盗み万葉集の草紙に入れ筆して証拠とし小町の歌は万葉集の盗作だと訴える。
悲しむ小町。美人の悲しみが美しい。だが小町の知性は鋭い。
「文字の墨付き違がいたり」と入れ筆を見抜いてしまう。
草紙の字は古く紙になじんでいる。小町は草紙を洗ってみたいと帝に訴え出る。
洗ってみると草紙の古い歌はそのまま、入れ筆の歌は跡形もなく流れ去る。
面目丸つぶれの黒主は自害しようと立ち上がる。
「道を嗜む志、誰もこうこそあるべけれ」と小町、帝にも許され二人は和解。
小町が舞う喜びの舞が美しい。

1月12日に宮中での歌会初めがテレビで放映された。
「草紙洗」の時代の装束での歌会始だったら世界の人達が羨むだろうなと思ったりした。
「草紙洗」は平安前期の物語。400百年続いた平安時代時代は戦争もなく平和で文化が栄えたという。
平安時代のような世は世界の何処の国になかったし今からもないだろうと思うので。

草子洗

能「草紙洗」の詳しい解説はこちら



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01.20
Sun

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保津峡 2018年11月30日写す。以下同じ

この5月保津峡右岸の林道を歩いた。JR山陰線、保津峡駅から亀岡駅まで。
今回は左岸のトロッコ電車の線路沿いを目指し馬堀駅で降りた。目当ては野菊。
キクタニギクのような珍しい野菊が咲いているかもしれないと。
地元の小父さんに道を聞いたら、獣の踏み跡のような道はあるらしいが
通ったことはないという。何時もの無茶は止めるようにと念を押されていたし、
獣道では時間が心配で断念、5月歩いた林道を目指した。

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馬堀駅

駅のすぐ前に河川敷が広がり彼方に紅葉の山、清澄な風、
思わず両手を突き上げ大あくびをしてしまった。

馬堀駅近くの保津川には橋がなかった。橋は2キロ程上流だという。
途中で引き返し、馬堀駅から保津峡駅まで電車、駅から歩いて嵐山を目指した。
引き返しは大当たりだった。5月に歩いた林道は今夏の台風で数か所が崖崩れ、
通行禁止だったと後で聞いた。

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保津峡、清滝川合流点付近

保津峡から嵐山への道は全くの無案内、当てずっぽうで歩いた。
途中でオートバイのお兄ちゃんに聞いて確かめた。
お兄さんは超親切に教えてくれた。やはり日本人は優しい。
日本に生まれてよかったと何時もの口癖を繰り返した。

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愛宕神社の大鳥居?

数十年来、年に1,2回京都に通っているが京都の地理が全く分からない。
陰気な杉の林を抜けてやっと人家が見えたとホッとしたらいきなり赤い大きな
鳥居にド肝を抜かれた。てっきり鞍馬寺だと思い込んでしまった。
以前お参りした鞍馬寺とは辺りの景色が全く違っていたのに。
人の記憶は曖昧、今まで見た色々の景色がこんがらかって記憶されて
いるからだと思い込んでしまった。
大鳥居にも何の疑問もなかった。東京の高尾山の寺にも大鳥居があるし、
お寺には必ず小さいながら神社が祭られている。
よく知られているのに清水寺の地主権現がある。

神社は日本本来の神、元々は現世利益を離れ唯、恐れ敬う神。
日本人の心の中に潜在的に住みついている。
お寺では拝観料を奉納するが、神社はお賽銭だけ。
お寺は仏事のお布施だけでは運営できないからだ。
神社は確然とした支援者に事欠かないのだろう。
仏教は人とは何かを教える哲学、神道は人が縋る心の支え。
などと訳の分からない珍説をブツブツ、人が聞いたら、
“お前、右翼の支援者か?”と云うだろうなとニヤリ。

この六月に、白頭の「鞍馬天狗」を舞った。
能「鞍馬天狗」は鞍馬山の天狗が牛若丸に兵法を教える豪快な能。
お礼参りに好都合と登り始めたが下山する人に聞いたらかなりの時間が
かるというので止めた。これにも助けられた。全くの見当違いて鞍馬寺ではなかった。
鳥居の額に愛宕山と書いてあるのを後で気が付いた。
愛宕神社かも知れないと勝手に思っているが確信はない。

鞍馬天狗
牛若丸に兵法の奥義を授ける鞍馬山の大天狗

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野宮神社

新宿の雑踏の上をいく混雑にビックリ仰天。
チンプンカンプンの言葉が溢れていた。
その昔、光源氏は六条御息所が精進潔斎している野宮を訪ね
忌垣の内に訪ねた印の榊の枝を挿した。
源氏の霊魂が今の野宮を訪ねたら右往左往だろうと心配だった。
能「野宮」ではその時の野宮のひっそりと静まり返った佇まいを
「末枯れの草葉に荒るる野宮の」と謡う。

「野宮」は悲しい女の性を、それも元皇太子妃という高貴な女性、
六条御息所を通して描いた名作。能「葵上」の後日談のような能。
「葵上」では御息所の嫉妬は並外れていて恋敵を襲う。
高貴故、嫉妬心を押さえに抑えるが嫉妬は無意識の内に生霊となり恋敵を襲い取り殺す。
「野宮」はその後の御息所を描く。
生霊は無意識のうちに迷い出るが、御息所は次第に気づき初め悩み抜いた末、
源氏との愛を諦め、斎宮にあがる娘に付き添い伊勢神宮に下向を決意する。
斎宮としての精進潔斎のため野宮に入る娘に付き添い御息所も野宮に籠る。
光源氏は野宮を訪ねる。諦めていた恋には衝撃であった。
死後、源氏が野宮を訪ねた事は御息所の拭い難い執心となった。
御息所の霊は源氏が野宮を訪ねた日、野宮に甦りあの世とこの世を行き来する。
能「野宮」の主題でもある。
斎宮は伊勢神宮に奉仕する皇族の未婚の女性。
作者、世阿弥特有の名文で描くこの曲は世阿弥の代表作でもあるとする。

葵上 (2)
「葵上」嫉妬の鬼となって光源氏の正妻、葵上を襲う御息所の怨霊

野宮
伊勢神宮の鳥居を出入りする姿を象徴的に見せ生死、源氏との執心を見せる。

能「野宮」の詳しい解説はこちら
「葵上」はこちら
「鞍馬天狗」はこちら.


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01.12
Sat
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富士山の残照 2019年1月8日写す
老人の思い出にも似る。ひと時美しく輝きしだいに消えて行く。

桂馬はトイレに急いだ。後ろ手にドアのノブを思いっきり引いた。パタン!大きな音に瞬間ビックっと肩があがった。
パタパタ、足音が聞こえる。ドアの大きな音を聞きつけた孫の愛(ちか)の足音だった。「アレッ?これ何?お母さん来て!」桂馬は漏らしてしまったのだ。用が済んだら拭き取らなくてはと思っていたが愛に見つかってしまったのだ。
用は済んだがトイレから出るかどうか桂馬は迷った。朝子が慌てて駆けつけるだろう。鉢合わせするのはバツが悪い。
朝子の気配がした。朝子が始末するまで時間が掛かるだろう。桂馬は覚悟を決めてそっとドアを開けた。
「おかあさあん、こっち、こっち、あっちにも」愛(ちか)が指さした。朝子は膝をつき右手に雑巾を持ち床を見渡していた。
桂馬は忍び足で朝子の後ろを部屋に向かった。「ふっふっふ」桂馬の気配に朝子が床を見回しながら笑った。
朝子は母親似で優しい子だ、桂馬の粗相程度で怒る筈はない、がなんとも極まり悪い。桂馬のソソウの水滴は桂馬の部屋のドア近くまで点々と続いていた。
「かの血を探へ化生のものを退治仕ろうずるにて候」桂馬の気配に朝子がおどけ調子に小声で謡った。
謡曲「土蜘蛛」の一節だった。謡曲は能のセリフだ、独特の節をつけて謡う。俗に“謡い”といわれている。
「急いで退治、仕まつり候へ」桂馬は小声で応じ急いで部屋のドアを閉めた。

能の「土蜘蛛」は病床の源頼光を襲った土蜘蛛の妖怪を頼光が刀で切り付け、家来達が土蜘蛛の血の跡をたどり蜘蛛の妖怪の巣に辿り着き、退治するという話で人気の活劇の能だ。
謡曲は桂馬の若い時からの趣味だった。桂馬は幼い朝子を能の公演や桂馬の趣味の謡曲の会に連れて行った。
家でも謡曲の一節を冗談に使った。朝子もいつの間にか諳んじるようになった。

桂馬は飲みかけのお茶の道具や読みかけの本が乱雑に散らばった自分の部屋の机の前にガラス窓を睨んで座り込んだ。どうしたのだろう、今まで1、2滴はこぼしたことはあったがこれ程派手にこぼしたことは初めてだ。
「あいつ等が云ってたのはこの事だろう」年に数回催される郷里のクラス会での話題が甦った。「マア、女房はしかめっ面するが人間の身に起こる自然の摂理だから仕方がない、だが頻尿は辛いよナ。そのうえ残尿感が嫌だ。我慢すると洩れて気持ちが悪いし、冬の寒い夜は辛いよね。この間ネ、女房の奴が紙パンツを買って来たんだ、思わず馬鹿にすんなって怒鳴ったんだ。だがよくよく考えるとそろそろ男の自尊心もおしまいだよナ。女房に八つ当たりしても仕方がない。ま、唯一の楽しみ、酒でも飲んで待つしかないか、だがこの頃、酒もあまり飲めなくなった」「何を待つンだ?」「それを云っちゃあおしまいだ」爆笑が湧いた。
白髪が増え、シワが増えハゲが目立つようになるにつれ話題は体の具合や医者の話が話題の中心になって行く。これらの人達の訃報が聞こえ初め、親睦会も間遠になった。世間への扉がすこしずつ閉ざせていく疎外感が事ある毎に迫った。

桂馬は退職してからしばらくして家でくつろぐ時は和服を着ることにした。寝間着もパジャマから浴衣に変えた。締め付けるゴムが解放感を阻害したし、浴衣は突然に身体が要求する排泄にも簡単に応じられるからでもある。
朝子はこのところ桂馬の家に来ることが増えた。顔を合わせるなり大げさなリボンの付いた包みをいきなり差し出した。「ハイ、お祝い」悪戯っぽい笑みを浮かべた朝子の顔を見つめ受け取る手はためらっていた。「何の?」「1ランク上の大人になったお祝い」「1ランク上の役立たず爺の?」「お父さん、自分を卑下してはいけません。お能ではお爺さんやお婆さんは尊敬の対象でしょう。今でも“敬老の日”って祝日があるじゃあない」「昔の人は短命、長生きが人生最大の夢だったンだ。今は建前。内心は邪魔者」「そんなこと云わないで!少なくとも私はお父さんに何時までも元気でいて欲しいンだから」

正札にクラシックパンツと書いてあった。フンドシだった。桂馬の異変に気が付いたのだろう。このところトイレに駆け込むことが多くなったしトイレのドアは開けっ放しだった。クラシックパンツは普通のパンツのゴムのような締め付け感はないが、穿いてみたがどうにも心許なく不安だった。だが馴れると爽やかだった。馴れは恐ろしいナ、人の人生を変えるナなどと呟き苦笑したりした。
浴衣にはゆったりと解放感がある。永年、身体を締め付ける洋服に馴れた生活だったが浴衣の解放感を覚えるとパンツまでおさらば、ますますクラシックパンツに執着した。クラシックパンツの生地は薄い、漏らしてしまえば蜘蛛の血は床に直行だった。
桂馬は子供の頃から和服に郷愁のような憧れのようなものを持ってる。
塩竃の母は着物姿が多かった。母がたまに着る洋服は似合わないと桂馬は思った。
父も帰宅後は和服でくつろいだ。父の背広を片付け、着物に着替える父を手伝う割烹着姿
の母の面影が今でも目に懐かしくちらつくことがある。桂馬が和服に執着していく要因の一つだったのかも知れない。

「やはり例の紙パンツを穿かなきゃダメかナ、土蜘蛛の血は突然ではないのかもしれない。朝子がアメリカに発つまでは気を付けないとナ」桂馬の不安は高まっていく気配だった。近々朝子はニューヨークに転勤になった夫の許に行くことになっている。朝子はニューヨーク行きを迷っていた。桂馬を一人で置いて行くのを躊躇ったからだ。桂馬は同じ年代の人に比べ生気があり健康そうに見える。桂馬は常づね、オレは幼い頃から海や川で泳ぎまわり、野山を駆け回っていたンだ。早池峰には6歳の時登ってお神楽を見たンだ、だから医者に縁がないンだなどと自慢した。朝子も父の健康を信じていたが人には信じられないことが起こる。健康でも年という事実が恐い。朝子の迷いだった。
だが桂馬の説得「人生には誰しもチャンスが巡ってくる。それを物にするかしないかはその人の器量による。外国の異文化に浸って生活体験をする、子にとっても親にとってもこれほどのチャンスはない、何を置いても行かなきゃあ、それに会社が金を出してくれるンだ、こんなチャンスはないだろう」朝子は桂馬の熱心な説得にニューヨーク行を決心した。
朝子にとってプライオリティーは桂馬、その次がニューヨークだったのだ、また同じ粗相を見つかったら朝子はニューヨーク行を止めるだろう。肉親が近くにいない淋しさを予想しない訳ではない。殊に今朝のような土蜘蛛血事件が起こった後はじわじわと不安のようなものが忍び寄って来るだろう。だが朝子の幸せが第一、夫婦子供が別居生活では不自然だ。それも自分のせいとなるのが許せないのだ。

桂馬の部屋のドアが開いた。「お父さん、どうしたの?いつもの元気、見えないナ」「そんなことないよ」桂馬は庭の一点を見つめたまま朝子に振り向きもしなかった。朝子は桂馬の横に座り桂馬の顔を覗き込み、「土蜘蛛の血、気にしてるンでしょう」妻の温子の仕草だと桂馬は思った。桂馬の顔が少し弛んだように朝子は思ったのだろう、「土蜘蛛の血なんて大したことないわよ。トイレから出て手を洗わないでお母さんに見つかって、、、お父さん、こう云ったわよネ。生きとし生けるものの長、人間様の身体から出たばかりの物体だ。不浄の訳なかろう。不浄は人が不浄にするンだ、手を洗わずに病気になったり死んだりした人は聞いた事がない」「お母さん、名言って手を叩いて大笑いしたじゃない。元気だして、お父さん」朝子は立ち上がりドアの前で桂馬をふり返り、「そうだ、お父さん。鶴さんとの思い出の鎌倉、行って来たら。元気、出るわよ」
“鶴”と聞いた桂馬は唖然と朝子を見つめた。鶴は聞くだけで桂馬にはインパクトだ。それに久しく聞かなかったのだ。
そう古くはない一時期、桂馬は酔って帰ると陽気に鶴との思い出話をした。朝子は苦笑いをして聞いていたが、度重なるにつれ、鶴が結婚前の桂馬の妻つまり朝子の母、温子の呼び名だったと朝子は気づいたのだろう催促しながら聞くようになった。そのお惚気もこのところ遠のいていた。桂馬は朝子の真意を探るかのように朝子を見つめた。朝子は笑みを残してドアを静かに閉めて出て行った。

鎌倉の思い出はあまりにも時間の段差が大きい、殊にここ数年、時間は希薄だ。思い出の軽重の順に希薄の時間の中に吸い取られ消えて行く。
朝子にはどんな思い出を話したのだろうか、この頃思い出は他の思い出とこんがらがっていることが多々ある。朝子に話したという鎌倉の思い出話は希薄で繋がりに自信がない。
町内会のバス旅行に付き合いで行って、数回訪れた地でも「へえ、こんな所だった?」と不審することや故郷の人達との思い出話でも桂馬の思い出とまるで違うことが多く愕然とすることが多い。
桂馬は思い出を回想する度に理想の物語を創作して付け加え、それが事実だと信じているのかも知れない。小町通りの雑踏と横丁の赤ちょうちん、某寺の竹林の中の茶屋、明治の元勲の別荘跡のレストランで飲んだ身に余る高級ワイン、江ノ電構内で食べたコロッケ、疲れたとしゃがみ込んだ温子をおんぶした由比ガ浜、あれは嘘でオレを騙したンだった、オレは怒ったふりして温子を放り投げ逃げる温子を追っかけた、靴が脱げても構わず必死で逃げる温子、あれもみな創作だろうか。
鶴は桂馬の生涯唯一の女だったし鶴との思い出は無二の物なのだ、付け加えた思い出でもいいのだ。
鎌倉に行って何かを見て、思い出がことごとく打ち砕かれたらどうしよう。
色々な想いが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。桂馬は気が抜けたように立ち上がった。行ってみるかどうするか決めかねたまま。



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01.05
Sat
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白河院 2018年12月1日写す。以下同じ

白河院は平安時代、藤原氏の別荘で後に白河天皇に献上、法勝寺を立てたその旧跡とあった。
法勝寺は豪壮な寺だったという。
後に宮様や政界、財界の別荘となったそうだが今は宿泊施設、料亭となっている。
東京にも古い政財界の別荘跡があるが洋式庭園が多く白河院のような純日本庭園は
見たことがない。
庭園が美しくモミジが真っ盛り、古都の雰囲気が満ちていた。
白河院の名は白河天皇所縁の地だからだろうが、能「俊寛」で知られた地でもある。
俊寛は法勝寺の執行だった。執行は寺務を取り仕切る長官。

俊寛僧都は平家転覆を謀った事件に加担した人、謀略は露見し俊寛は仲間二人と
南海の孤島、鬼界ケ島に流される。
仲間の二人は許され都に呼び返されたが俊寛は許されずこの島で生涯を閉じた。
能「俊寛」は都での華やかな生活を偲びつつ、悲惨な生活を送る俊寛を描き
終曲、キリでは許されて帰京する二人を見送る俊寛の悲哀を非情なまでに生々しく描く。
人間の絶望に焦点を当て堀下げて見せる名作。

俊寛
赦免状に俊寛の名がない事を赦免使に訴える俊寛

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白河院にてのお楽しみ会

“年忘れお楽しみ会”と称してごく内輪の謡曲会が白河院で催された。
平服でもOKの気安い会。謡や仕舞を楽しみ更に“お楽しみ”のゲーム、
更にさらに料理お酒で賑やかに楽しんだ。
催主は東京出身、金剛流能楽師山田伊純師。永年金剛流宗家の内弟子修行で
京都住まいだった。よほど京都が気に入ったのか住みついてしまった。
二年前、能「楊貴妃」に云う“容色無双の美人を得給う”目出度さ。
少々大げさかもしれないが(笑)去年11月、男の子が生まれた。
能楽師にとって後継者に男の子を得たことは最上の喜びだ。
下の写真の笑顔が物語っている。

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催主親子

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小学三年生少年の仕舞「羽衣」

自ら望んで謡、仕舞を習っているとか。自立心旺盛な少年。
舞姿を見ていても確かさがにじみ出ていた。
舞は「羽衣」爽やかに華やかに舞って拍手喝采。

「羽衣」は月の都の天人の物語。
絶景の三保の松原に降り立った天人。松の枝に羽衣を掛け辺りの景色に感嘆。
漁にむかう漁師に羽衣を取られる。
羽衣と知った漁師は羽衣を返さない。羽衣がなければ月の世界に帰れない。
嘆き悲しむ天人を見かね漁師は羽衣を返す。昔から日本人は優しい。
交換条件で天人が舞う舞が絶品。後に“東遊の駿河舞”と名付けたられた舞と
いうから面白くない訳がない。
羽衣を翻して舞いつつ早春の春の空の彼方に消えて行く姿がこの上なく美しい。

能「羽衣」の詳しい解説はこちら
「俊寛」はこちら

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