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10.24
Thu

乙女高原は山梨県の奥秩父連山の麓にある高原。標高1700m。
山梨市が観光地の目玉にしようとしたのかトイレなど整備されているが
訪れる人は少なく静まり返っている。
東京から近く気軽に行けて静かなのが何より気に入っている。
四季折々に高原の花が咲き麓には三富温泉があり良質の温泉が湧く。
立ち寄り湯500円。

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カワラナデシコ(河原撫子) ナデシコ科

低地から亜高山まで咲く花。秋を代表する花の一つ。
茎は固く丈夫。遊山の土産には持って来いの花。
万葉の昔から親しまれた花らしい。
「秋さらば見つつ偲へと妹が植えし宿の石竹なでしこ咲きにけるかも」
大伴家持の歌だそうだ。秋が来て私が植えた撫子が咲いたら私を偲んでください
と云うのだから奥さんは何処かに行ってしまったのだろう。どこだろうか?
家持さん、奥さんの植えた撫子をジット見つめて、その目には涙。
何とも見るに忍びない家持さんの姿が目に浮かびます。
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむ」
山上憶良の歌だそうだが万葉人は愛妻家が多かったのだろうか。

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オミナエシ(女郎花)スイカズラ科

なんとも派手な花。昔から親しまれた花のだろう、秋の七草の一つ。
今の世でも秋の七草は?と聞かれると先ずオミナエシと答える人が多いと思う。
派手な花のオミナエシを“女郎花”と書いても不思議には思わない。
女郎は普通、遊女だろうが上臈、上流階級の女性のことででもあるという。
遊女と上臈は雲泥の差だが女郎花の意味はその人に任せるという事だろう。
京都、石清水八幡宮は女郎花の名所だという。
能「女郎花」の舞台でもある。
「艶めきたてる女郎花、うしろめたくや思うらん、女郎と書ける花の名に
 誰偕老を契りけん」と謡う。
女郎とか、上臈とか聞くと“脂粉の香り”を連想する。
古い和歌に女郎花の香りを愛でる歌もあるらしい。
現代人にはとびっきりの悪臭だが、所変われば品変わるならぬ
時が移れば品変わるだろうか。

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ソバナ(岨菜) キキョウ科

岨は峻嶮な山、絶壁などだと辞書にある。その岨に咲く花だとする。
少々大袈裟でちょっとした山深い処なら所嫌わず咲いている。
立ち姿に気品があり岨に咲く花に相応しいという意味だと理解している。
若芽だけでなくかなり成長してもアクもクセもなく美味しい。
ソバナの花を見つけて“アラ、可愛いわね何という花かしら”と騒いでる
ハイカーに「山仕事の杣人(そまびと)が家で待っている愛しいカアチャンに、
ほら、土産だよと手渡すので杣菜、が岨菜になったんだ」と怪しげな解説をする。

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ツルリンドウ(蔓竜胆)リンドウ科

リンドウとツルリンドウは花も葉も形はそっくり。
リンドウはよく知られた秋の花。上向きに誇らしげに咲く。
ツルリンドウは這いつくばって咲き、花もリンドウには遠く及ばない。
リンドウが咲いていた近くの草の藪に絡みついて咲いていた。
生きとし生けるものには美醜、色々あるのだ、卑下してはいけないよ、
浮世の習いだよと慰めてやった。
実は断然ツルリンドウの実がきれい。真っ赤な丸い実が可愛い。
リンドウの実は枯れた花びらに包まれ細いサヤの中に小さい粒粒。
きれいな花のなのに実が何とも情けない姿だ。

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タムラソウ(田村草) キク科

紅色が鮮やかできれい。恐ろしいトゲなどないからこれも山の土産にいい。
トゲのないアザミ。ほんとはアザミの仲間ではないらしいが。
別名、玉帚だそうだ。玉帚は高野箒や箒草で作った箒。
先細の竹箒と違い玉帚はふっくらで田村草の花にそっくり。
能「田村」で前シテの庭掃きの少年が玉帚を持って登場する。
これが名の由来らしい。名付け親はきっと能の愛好者だったのだろう。

少年は坂上田村麻呂の化身。田村麿麻呂は平安前期の人、征夷大将軍。
並外れた剛勇。怒れば猛禽もひれ伏し、笑えば幼子も慣れ親しんだという。
能「田村」は前場では幼子も慣れ親しむ田村麻呂を描き、後場では猛禽も
ひれ伏す田村麻呂を描く。

清水寺の地主権現の桜は昔から桜の名所として名高い。
春爛漫の清水寺を訪れた僧は玉帚で桜の下を掃き清める由ありげな少年に出会う。
童子の面に美しい縫い箔、色水衣の少年姿の田村麻呂が可愛い。
大人が演じ、それも野太い声で謡っても可愛いから不思議。能の演出の不思議な魅力。
自主権現の桜を賞で僧に清水寺創建の由来を語る。
少年ながら存在感ある姿から、えも云えぬ不思議な雰囲気が滲み出、説得力がある。
やがて音羽の山の上に月。「春宵一刻値千金、」と少年。「花に清香、月に陰」と
応じる僧の袖を取り桜の下に僧を誘う。
少年は桜を愛でる「クセ」を舞う。その優雅な舞は「げに千金にも替えじ」だ。

後場はガラリと変わる。
猛禽もひれ伏す坂上田村麻呂の登場。
鈴鹿山の鬼神を退治する剛勇田村麻呂を見せる。
明るくのびのびと情緒豊かな少年田村麻呂を前場で見せ
後場に勇壮、闊達な田村麻呂を見せる。暗い影など微塵もない能。

田村
月下の地主権現の桜の下で桜を賞で舞う少年、田村麻呂

能「田村」の詳しい解説はこちら
 「女郎花」はこちら 

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10.19
Sat
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武蔵野市境から見る富士の残照

中尊寺山門前の食堂はお昼も疾うに過ぎ、ウイークデーでもあったからだろう客はいなかった。桂馬は案内も乞わず暖簾を分けて突っ立ち、見るともなくぼんやり天井を見上げていた。奥から人の気配がしたが桂馬は見上げたままだった。
桂馬は大事な時計を落とし、心当たりを探しにやって来たのだ。時計は腕に巻き付いている筈が何時の間にか消えていた。小津絵が腕の時計をのぞき込み「あら、もうこんな時間」と呟くのを聞いて気が付いたのだ。無意識に外したのだろうが、その後が全く見当がつかなかった。食堂を出た後、中尊寺金堂までの間の小さな末寺を拝んだり衣川が見える見晴台で休んで、弁慶の立ち往生の話を冗談交じりに話したりした。
「お昼を食べてゆっくりお喋りしたあの食堂が一番可能性が高いと思います、行ってみましょう」と小津絵に励まされ暖簾を分けたのだが有るという確信など全くなかった。
「お客さんですよね、うちの女の子に面白い冗談おっしゃった。その子がお膳を引いたンですよ、忘れ物があったらその子がすぐ追いかける筈です。ここではないンじゃないンですか?忘れ物の保管箱にもそれらしき物はありませんしね。」年配の女将が云う“冗談”の一言が妙に耳を衝いた。確かにあの時冗談を云ったのだ。
「お父さん、何かをやる時は、やることを心の中で言って確認して行動するネ、いい?」
娘の朝子の声がよみがえったが反省など全く無く頭の中は訳の分からない渦が巻いていた。桂馬は俯いたまま無言で首を上下に振り店を出た。外で連れの小津絵が突っ立ったままで待っていた。
「先生、どうでした?」
「やはり無い」桂馬は無表情に顔を上げ小津絵を見た。
「そうですか」「じゃあもう一ぺん上まで引き返して探しましょう、道の何処かにきっと落ちていると思います、わたしの目は金属探知機ですから、おまかせください」小津絵がおどけ混じりに励ましたが桂馬の顔は崩れなかった。

桂馬は小津絵に尺八を教えている。
不器用な桂馬の唯一の趣味が尺八だ。師匠は会社の上司で氏家という曰くありげな名字の人だった。仙台の出身で塩竃出身の桂馬とは同郷のようなもので近親感があった。彼の父親は尺八の銀壺流と言う流儀の師範で尺八を教え生業にしていた。彼を跡継ぎにと思っていたのだろう子供の頃から彼に尺八を教えた。だが彼は大学を父の意向とは逆の工学部を選んだ。氏家は桂馬に「オレの性格から人にものを教えるなんて無理だよナ」とよく話した。桂馬は上司という厳然とした企業での上下関係を超えた近親感を氏家に抱くようになった。似たような性格の二人は何かににつけ近づいたのも自然だった。
不器用な桂馬が尺八を彼に習う切っ掛けが笑えるのだ。桂馬が彼の家を訪ね二人で酒をしたたか飲んだ後、彼が尺八を吹いた。何やら重々しい音色だったので泥酔に近い桂馬も思わず居住まいをただした。曲が進んで、オヤ?と桂馬が顔を上げた。氏家が一瞬尺八から唇を放しニヤリと笑った。聞いたような旋律に変わっていたのだ。なんと“ゴンドラの歌”に変わっていた。人柄に惚れ込んだ桂馬は彼に尺八を習い始めた。不器用な桂馬も人の倍ほどの時間を掛けてゴンドラ流の入り口らしき域に辿り着いた。
シャイな性格の桂馬がゴンドラ流尺八を小津絵に教えるようになったのも不思議だ。
小津絵は薬剤師だ。桂馬は中年頃から血圧が高くなった。小津絵の勤める薬局に降圧剤をもらいに月に一度通った。桂馬が手にしている錦の袋を小津絵が珍しがった。錦の袋から取り出した尺八に目を見張り吹いてくれとせがんだ。桂馬は一吹きだけしてみせた。

桂馬は仲間五、六人と月に数回、尺八を楽しむ会をする。定年を待たず退職していた氏家を師匠に桂馬が作った会だ。会員が増え「先生なんどと呼ばれると身が縮むね」とその折々彼は桂馬に囁いた。
理由は解らなかったがいつの間にか氏家師匠はいずこともなく遁ズラしてしまった。故郷の仙台にも帰っていなかった。氏家師匠は在職中、管理職の重圧に耐えかねたのだろう鬱病になり入院したことがあった。
氏家師匠は人との交渉の少ない土地で余生を送りたいと思っていたに違いない。師匠は遁ズラなど口にはしなかったが、師匠との交渉が深まるにつれ師匠の人柄に惹かれていった桂馬には突然の遁ズラの理由が分かるような気がするのだ。
「会社に多大な貢献をした人だ、後は好きな尺八を教えて余生を送れば最高だと思うがネ、会員も増え今からと云う時にいきなり消えるとは不思議な人だ」年老いても世間の常識に引きずられる会員の発言に桂馬は氏家を思いやった。
かなり迷ったが桂馬はその会に小津絵を呼んだ。小津絵の熱心な頼みだった。以来桂馬は小津絵にゴンドラ流尺八を教える羽目になってしまった。勿論、自分では自信がなく怪しげだとは思ったが、師匠が遁ヅラでは仕方がなかった。怪しげでも小津絵がそれでもいいというので尺八の古典を教えた。

小津絵は桂馬を先生と呼ぶ。彼女にとっては当たり前だが桂馬は恥ずかしい。
「先生は止してくれよ、ゴンドラ先生が聞いたらビックリだよ」
「いいえ、立派な先生です。尺八の技術だけが先生ではありません。尺八に対する心です」その度ごとに小津絵はいう。若い女性と尺八、世間一般は首を傾げるかも知れない。だが小津絵はかなり変わった女性だ。若者が夢中になる“もの”に全く興味を向けなかった。
家族も変わっているらしい。小津絵が折々話す家族の話を繋ぎ合わせると、父親はアメリカの大学に留学中、学友に日本のすばらしさを散々聞かされたという。アメリカに憧れ留学した父親にはアメリカ人が日本文化を褒め称すことが驚きだった。学友の憧れだという京都の話しは少しは納得だったが故郷の兼六園の雪吊の写真を見せられびっくりした。
見慣れた景色をアメリカの学生たちが感激するのが不思議だった。アメリカでの生活に馴れるに従い日本の文化に目を向けるようになった。帰国後、彼は兼六園出入りで、自宅の庭の手入れもしていた庭師に弟子入りした。加賀藩の重役を先祖に持つ父親も反対はしなかった。

桂馬が中尊寺を訪ねたのは氏家師匠の在所を知るためだった。桂馬が話す氏家師匠の人柄に興味津々のこずえが師匠捜索の旅に是非にとついて来たのだった。「泊がけの旅だよ、何かが起こるかも知らないぞ」と桂馬がふざけて見せても「OK!」意味を考える素振りもなく何の拘りも見せず小津絵は爽やかに応じた。
仙台の実家を訪ねたが実家の師匠の兄も住所は知らされていなかった。年賀状にも住所はなかったといった。
師匠の奥さんは中尊寺の仏様にお供えする菓子を作る和菓子屋の娘だと聞いていた。
ただ和菓子屋とだけで、どんな店なのか住所も聞いていなかった。
中尊寺の門前町の平泉の町はそれほど大きな町ではない。探せばきっと見つかるだろうと高を括っていた。見当を付けて訪ね歩いたが無駄骨に終わった。
「お菓子屋さん、平泉ではないかも知れません、東京に帰ったらネットなどで色々調べて必ず探し当てます。ガッカリしないで下さい。気晴らしに金堂を拝んで帰りましょう。私、中尊寺どころか金堂など見たことがないンです」金堂まで登ったのは小津絵の提案だった。

桂馬は時計を半ば諦めかけていた。
家で常時使うものが在るべき所になく、あるはずのない所から出て来たりすることが多くなっていた。どうしてそこに置いたのか全く思い出せない。使い終わって無意識のうちに所かまわず置くのだろう。時計も無意識のうちに腕から外しポケットに入れたつもりがそのまま落としたか、手に握って歩いている内に無意識のうちに握った手を開いて落としたのだろう。とぼとぼと歩き始めた桂馬を元気よく先に立っていたこずえが振り返り、
「落とした時計ってそんなに大事な時計ですか?それとも高価な時計だから?」
「やっぱり大事な人に頂いた時計よね、ホラ、先生の顔色が変わった!」
元気づけようとしているのだろうとお返しの桂馬の作り笑いはぎこちなかった。

桂馬が高校入学の時に父親に時計を貰った。スイスの高級時計だった。桂馬はその時計を腕に巻き付けるのを戸惑った。ポケットに入れ時間を見る度にポケットから出して見てまたポケットに戻した。いかにも高価に見えるその時計が我が身を我が身以上に誇示しているように思えて恥ずかしかったのか自分には似合わないと思ったのだろう。母の生活態度が身に沁みている証でもあった。母は必要以上のものを身に付けることはなかった。その理由を話すこともなかったが母の普段の生活の中での言動から、長ずるにつれ桂馬流に理解され沁み込んで行ったのだろう。大学を卒業し就職してしばらく、時計は桂馬のポケットを出入りしていたがいつの間にか消えていた。惜しい訳ではなかったが時計への拘りは妙に消えることはなかった。

突然なくなった時計は妻の温子のプレゼントだった。
温子にトラウマのような時計を、これも妙にも望んだのは桂馬自身だった。温子が出発する日、新宿のデパートで買い温子自身の腕に巻き付けて成田の空港から送って来た。これも桂馬が温子に照れながら頼んだのだ。時計のベルトは短かった。温子の手首の長さだった。桂馬は何かにつけて時計を手に取り話しかけた。これぞという催しがあるとトラウマの短いベルトの時計を苦労しながら腕に巻き「よし!温子、行くぞ!」と呼び掛けて家を出た。

小津絵が終始桂馬の前に立ち中尊寺への坂道を左右を見回しながら登った。諦めムードだった桂馬は熱心ではなかった。だらだらと小津絵の後に続いた。いかな金属探知機の目も時計を発見することはなかった。
金堂の入場券売り場の前で二人は無言でしばらく佇んだ。
「やはり無理だね、何せ小さいからね、落ち葉か何かの中にもぐったンだよ、きっと。諦めるよ。溶けて蒸発した訳ではないし何処かにきっと存在する、それでいいンだ。御用が済んで仕舞って翁草とするよ」小津絵がククッと笑った。小津絵も納得した様だった。
「では下りよう」桂馬は金堂を背に歩き出した。
「ア、そうだ、ちょっと待ってください。能楽堂のきざはしに腰かけてお話したでしょう、行ってみませんか、もしなかったら今度こそ潔く諦めましょう」後ろから小津絵が呼び掛けた。能楽堂は金堂から近い。二人肩を並べて能楽堂に向かった。
「能楽堂でお能のお話を聞きましたよネ」「え、どんな話?」
「奥様が学生の頃、お能の鑑賞会で見たお能が鬼の能で」
「ア、そうだった。数時間前に話したのにもう忘れていた。坊さんがお経を唱えて鬼を祈り伏せる、“おんころころせんだりまとうぎ”、昔の話なのに忘れないンだよね不思議に。かみさんの名前が温子、あつ子が“おんころころ”のおん子になった話だったね」
森に囲まれた能楽堂は舞台と楽屋だけで見物席は庭のような広場だった。人気もなく閑散としていた。
「あ、人が居ます。木の下の石に腰かけて、身体の具合でも悪いのかしら」
白いサファリハットをかぶり背筋を曲げた男が見えた。小津絵が急ぎ足で男に向かった。
「さすが薬剤師、具合の悪そうな人が気になるンだ」
小津絵とサファリハットの男はお辞儀を繰り返していた。今時珍しい光景だと桂馬は思った。
「この近くお住まいですか?」薬局の患者と話す口調に聞こえた。
「いいえ」男が名刺を差し出した。男は長い間のサラリーマン生活の延長のようにごく自然だった。武蔵野市境とあり、名前が吉田朴とあった。
「お名前が珍しいですね、なんと読むんですか」
「すなおです。外見を飾らない自然そのままという意味だそうです。おやじが付けたンです。名のとおりの風采になりましたが」丸い黒縁眼鏡をかけサファリハットを被り、飾り気のないジャンパーを着た中肉中背の男の容貌は“名は体を表す”の曰く通り多分素直な実直な人なのだろうと桂馬は思った。
「私も武蔵野市なんですよ。どこかでお会いしたかも知れませんね」遠く陸奥と呼ばれた地で同じ町に住む人に逢うとはと何か因縁のようなものを感じ桂馬は男の顔を見つめた。
「そうですか。武蔵野市ですか奇遇ですね」実直そうな顔に笑みが浮かんだ。
「実は女房が多賀谷西光寺の縁戚でしてね、里帰りの度にこの辺を女房と歩いたンですよ」
「エッ、あの摩崖仏の?中尊寺の前に拝んで来たんですよ、今日は奥様はどうして御一緒ではないのですか」小津絵も遠慮が薄らいだ様だった。
「女房はこの春亡くなりました」男は急にうつむいた。
                       つづく

≪東京金剛会例会のご案内≫

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)←クリックして下さい
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)←クリックして下さい
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局(山田方) 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796

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10.12
Sat
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北横岳 2019年9月7日写す。以下同じ

八ヶ岳の主峰、赤岳の連山を南八が岳、尾根続きの北、
縞枯れ山や北横岳、蓼科山を北八ヶ岳と呼ぶそうだ。
北横岳の山頂直下には火山岩の広がる平地がある。
麓から100人乗りの巨大なロープウェイがあり
高齢者や体の不自由な人でも高山の雰囲気が楽しめる。
標高、2300ⅿ

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ダケブキ、トリカブトのお花畑

北横岳の麓のスキー場の、急峻な斜面に広がっていた。息を飲む豪華な景色。

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トリカブト(鳥兜)キンポウゲ科
きれいな花にはトゲがある、の諺を思い出させる花。
トゲならまだしもこの花の根には猛毒がある。
ちょっぴりなら強力な精力剤だそうだ。そう古くない昔、もうちょっと精力を
付けたいと欲張って量を増やして命を落とした植物学者がいたそうだ。
深く青い幻想を誘う花を眺め、空想に耽る程度にした方がいいと思う。
ゆめゆめ手出しは禁物、とは知りながら魅力あるもの綺麗なものには本能的に手が出る。
賢帝で知られた唐の玄宗皇帝は息子の嫁だった楊貴妃に手を出して国を傾けた。

玄宗と楊貴妃の恋は悲劇に終わったが、多くの人々に語り継がれた。
百年経て白楽天は長恨歌を作り、玄宗と楊貴妃の愛と悲しみをうたいあげた。
長恨歌は日本の文学に大きな影響を及ぼしたという。
能にも作られた「楊貴妃」美しく情緒たっぷりの名曲。


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ダケブキ(岳蕗)キク科

フキ(蕗)や海岸に咲くツワブキのごく近縁だという。
人の背丈に近く花も大型で真っ黄色。大きな長い花弁が垂れ下り華やか。

近縁の蕗(フキ)の蕾、フキノトウは天ぷらにする時一瞬手が止まる程可愛い
が開花するとお世辞にもきれいとは言えない。
ツワブキの花は色、形ともダケブキの花によく似ていてきれい。
蕗は食用に栽培されている。ツワブキは一般には食べないが南西諸島では
主要な山菜。蕗とは食感が正反対、シットリとコクがある。
ダケブキを食べると聞いたことはない。
毒ではないだろうがイカツクて食べられそうもない。

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コケモモの実(苔桃)ツツジ科

初夏に小さな白い可愛い花を数個固まって咲かせる。
実は甘酸っぱい。小さい液果だが高山のリンゴ。

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クロマメノキの実(黒豆の木)ツツジ科

初夏に寝ぼけた赤みがかったチョウチン型の花を咲かせる。
花色は今一つだが実は実に美味しい。昔、山住みの人達がジャムに作ったそうだ。
今はダメ。環境監視の人に見つかったら大目玉。

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シラタマノキの実(白玉の木)ツツジ科

白いチョウチン型の花が可愛い。実は花だか実だかわからない変てこな形。
味も変わっている。ハッカのような味。
山歩きで疲れた体に、食べるとカッと生気が戻るという人もいる。

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ヤマハハコ(山母子) キク科

山母子は山に咲く母子草。ちょっと高い山から高山まで咲く。
母子草は畠や田んぼ道端に咲く花。
白っぽい茎に黄色い小さな花が拳状に丸く集まって咲く。
丸い花を母と子に見立て、母と子の人形にしたと云われる。
何のための人形か実際に人形として使ったという言い伝えはないらしい。
紙の衣を着せて飾り母と子の息災を神様に祈った、などと想像すると
それほどきれいでもない母子草が可憐に見えてくる。
道端などに咲く黄色のハハコグサは日本人の母子、山に咲く白い山母子は
アメリカ人の母子かナなど冗談も出る程可愛いかも知れない。
世に父と子の物語はごく少ないが母と子の物語は洋の東西を問わず多く
大方の涙をしぼる。子は母の分身、我が身を捨てでも子を守る。

能に四番目、狂い物と称する作品群の中に母と子の物語がある。
狂い物と云うと母と子の能を指すと云うほど親しまれている。
よく知られた曲に「隅田川」「三井寺」がある。
「隅田川」は能に無案内の人でも涙を惜しまない名曲、
「三井寺」は詞章と演出に優れた名曲。

比叡山の山頂直下に建つ延暦寺と尾根続きに建つ三井寺同じ系統の寺ながら
仲が悪かった。
比叡山の僧兵が三井寺に攻め込んだ事件で弁慶は三井寺の鐘を引きずり下ろし
眼下の琵琶湖に蹴っ転がした。その音は百里四方に鳴り響いたという。
鐘は琵琶湖の底の竜宮城に至り、後に彼のムカデ退治で有名な俵藤太秀郷が
竜宮から持って帰った。俵藤太は弁慶より200年近くも前の人、勿論作り話だが
ついつい信じてしまう程、夢の広がる話。この鐘が能「三井寺」の物語の凖主役。

我が子を人さらいに売られた母は清水寺に籠り必死に祈る。
祈り疲れた霊夢に三井寺を教えられる。
「雪ならば幾たび袖を払はまし、花の吹雪と詠じけん、志賀の山越えうち過ぎて」
母は狂気となって三井寺指して狂い上る。
折しも中秋の名月、三井寺では住僧が稚児達を連れて講堂に月見にやって来る。
その中に母の訪ねる子もいる。
三井寺の名鐘が満月の中に響き渡る。母は故郷で子と聞いた鐘の音を思い出し
狂気は更に嵩じ鐘楼に駆け寄り鐘を撞こうとする。
「汝が鐘、撞こうずると申すか、思いもよらぬ事ぞ」と僧。
母は漢詩に作られた故事を引き「かほどの聖人なりしかども、月には乱るる心あり
ましてやつたなき狂女なれば、許し給え」と僧に。
狂女の驚く才気に呆気にとられる僧を尻目に鐘を撞く。
“鐘ノ段”と称し仏説を核にした名文と大きな作り物の鐘楼を支えに狂い舞う。
この曲の核心の見どころ。
母の狂乱は「夢の世の迷いも、はや撞きたりや後夜の鐘に、我も後生の雲晴れて
真如の月の影を眺め居りて明かさん」と静まる。
続いてクセが静かに謡われる。母の狂乱を見た後の見所の人々の昂った心を鎮め、
しみじみと心に沁み渡たらせる。
「山寺の春の夕べを来て見れば、入相の鐘に花や散るらん(和漢朗詠集)」
に始まり、想う二人の逢瀬も時過ぎたとばかり響く鐘の音。老いの身を夜半の
寝覚めの物思に涙し聞こえ来る鐘など、鐘の音の情緒を謡う。
更に琵琶湖の夜景を、闇に浮かぶ漁火や客船のほのかな灯りを歌った漢詩を
引き謡う。秀逸な詞章と韻律がグッと万感を誘う。

三井寺
「まず初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり」三井寺の名鐘を撞き舞い狂う母

能「楊貴妃」の詳しい解説はこちら「三井寺」はこちら「隅田川」はこちら


東京金剛会例会のご案内

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796
   


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10.05
Sat
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白駒の池 2019年9月6日写す。以下同じ

八ヶ岳連峰の北へ続く尾根をメルヘン街道と呼ばれる国道299号線が
横切り越える。峠が麦草峠、標高2000Ⅿを越す。
少し下ったところに白駒の池がある。苔と紅葉で有名だという。
ウイークデーだったが白駒の池の登山口の駐車場は満車に近かった。
ニコニコ笑いながら中年の男性“駐車料金、結構なお値段ですね、
トイレも50円です。50円が惜しい訳ではないですが、
こうなんでもかんでもカネ、カネ、カネでは50円が惜しくなりますネ”

小銭が人を惑わす。先日、お酒を頂いた方にお礼のハガキを書いた。
10月1日から消費税が10%になったとテレビが騒いでいたので
62円×10=6円20銭。ウン、10円切手を貼って3円80銭は
郵便局に寄付、どうだ太っ腹だろうとニヤリと笑い赤いポストに投函
5,6歩、歩いて待てよ、しまった!8%が10%になったンだ。
2%でよかったんだ。大損しちゃった。畜生!テレビめ!ポストに向かって
怒鳴ってしまった。

増税を喜ぶ人はいない。喜ばない増税を敢えてやるにはそれなりの理由が
ある筈だ。テレビや新聞は10%と叫ぶだけで教えてくれない。
ポイントなど小細工は止めて増税の必要性を根気よく国民に説明すべき。
偉い知識人の方々、世論を導くと仰る方もいたという報道関係の方々も
視聴率は10%を強調すれば上がるだろうが、増税にかかわる諸問題の
ホントのことを教えて欲しい。2%が惜しい訳ではない。
10%、10%は聞き飽きた。

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視界の限りコケで覆われていた。空気は清浄、鳥も蝉も鳴かず静まり返っていた。
出会う人も静かに“こんにちは”

♪山の真昼、日はうらら風もさやかに通う、心満たす静けさに独り歌えば楽し
 ホイ、ラリラリラ、ホイ、ラリラリラ、木霊遥か答える♪ 
小学校低学年の頃、風変わりな先生に教わった。
山道など静かな所を歩いていると口をついて出る。
風変わり先生、即興の歌を作り子供達に歌わせた。

炭焼きの父親と山に住んでいて遠い道のりを通学する友達を思いやる歌が忘れられない。
♪ほっほーほオほオ梟よフクロウ、梟のお里は古田の森よ♪
炭焼きの里の名は古田、彼の名も古田、寡黙の少年だった。
風変わり先生は心臓病を患い静養のため生まれ故郷に帰省のところを乞われて
子供達に音楽を教えた。2年程、体調が戻ったのだろう東京に帰った。
東京の音大の先生だったとか後で聞いた。
“山の真昼日はうらら”の歌は、風変わり先生の作詞作曲かも知れない。
手を尽し調べたり人に聞いたりしたが全く手掛かりなしだった。

往年の山男たちは山に因んだ歌を折に触れ歌った。
♪娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ、山で吹かれりゃヨ、若後家さんだヨ♪
♪槍の頂上で小便(しょんべん)すれば小梨平に虹が立つ♪
彼ら山男のテーマソングであり愛唱歌だった。
山男の友人に“山の真昼”や“古田の森”を教えた。
仲間に自慢するのだと、涙までは流さなかったが大いに喜ばれた。

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サワギキョウ(沢桔梗) キキョウ科

水気のある草っ原に群生していて口あんぐりで見惚れたことがあった。
迷い込んで住み着いたのかたったの一本、クサフジが絡みついてまるで
縄張り争いのように見えた。こんな姿を見たのは初めて。
ジット見つめていたら何やら考えさせられてシュン。
深い紫の花色が魅力の花。紫は高貴の色。能の装束に長絹がある。
高貴な女性は紫の長絹を着る。

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ハンゴンソウ(反魂草)キク科

豪華な花。北海道に多いらしい。昔この花がマスの遡上の時期を教えたとか。
名の由来は多分この花を焚いて死者の魂を呼び寄る呪術師がいたのだろう、
実際にあったかは分からないがとある図鑑にあった。

漢の武帝は寵妃、李夫人の霊を冥界から反魂香を焚いて呼び寄せた。
能「花筐」の“李夫人の曲舞”で語り舞われる。
戦前までの知識人は能の愛好者が多かった。
反魂草と名付けた学者は能の愛好者に違いない。
名付け親はハンゴンソウの花の姿を李夫人に重ねたと一人合点している。
恐山の巫女や沖縄のノロにハンゴンソウを焚いたらと教えようかナと、、、、、冗談
若芽は食べられるらしいが春の新芽は見分けがつかないので食べたことはない。

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ヤツガダケアザミ(八が岳薊)キク科

八ヶ岳だけに咲く固有種だそうだ。オッカナイ棘で“摘んではダメ”と
脅している。だが鹿はあの優しい顔でパクリとアザミを食べてしまう。
中国の新疆ウイグル自治区、タクラマカン砂漠の駱駝は恐ろしいトゲの
生えた灌木を口から血を流しながら食べる。名前は忘れたがピンクの
きれいな花が咲いていた。

動物は命を繋ぐために生き物を食べる。人は更に生活のために生き物を狩る。
仏教を深く信仰していた昔の人は、動物の命を取り、食べると地獄に堕ちると信じていた。
能「善知鳥」の陸奥、外ヶ浜(青森県)の猟師は生活のため仏戒を犯し地獄に堕ちた。
地獄はあの世だけではない、この世にもあった。立山地獄に堕ちたのだ。

立山禅定の僧の前に現れた猟師の霊、陸奥へ下ったら妻子に
蓑と笠を手向けるよう頼んで欲しいという。
訝る僧に着ていた麻衣の片袖をちぎり取り証拠にと僧に渡す。
蓑と笠を手向けよとは何?ミステックこの上もない。
陸奥へ旅立つ僧を、願いが叶うよう祈りを込めて老人は立ちつくし見送る。

蓑と笠を手向ける妻子の前に現れた猟師の霊、善知鳥を獲る場面を見せる。
この曲専用のカケリ、息詰まるリアルな舞に圧倒される。
子を獲られた善知鳥の親鳥は空から血の涙を降らす。
血の涙は猟師の皮膚、肉を溶かす。猟師は手向けられた蓑と笠を着て逃げ迷う。
蓑と笠の手向けの謎、氷解。
地獄では生前殺した獲物が怪鳥となって逆に猟師を襲う。眼をくり抜き肉を裂く。
凄まじい地獄の有様を見せ“助けてたべや御僧”と叫び猟師の霊は地獄の闇に消える。

善知鳥
砂浜の巣に隠れている善知鳥の子鳥を狙う猟師

能「善知鳥」の詳しい解説はこちらこちら
「花筐(はながたみ)」はこちらこちら

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