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05.06
Sat
桜川は筑波山近く、桜川市の山から流れ出、霞ケ浦にそそぐ小さな川。
「常よりも春べになれば桜川、波の花こそ間なく寄すらめ」平安を代表する歌人、古今集の選者の一人でもある紀貫之の歌で桜川の桜を詠んだ歌だそうだ。桜川の桜は都にまで聞こえ、貫之が憧れた程の桜だったという。
能「桜川」の舞台なので十数年前に訪ねたのが切っ掛けで度々訪ねた。「磯部の百色桜」といわれる自然交配の様々な種類の山桜が磯部桜川公園に植えられている。山桜は人の手で交配された桜には失われてしまった色、形、匂いなど、微妙な風合いがあり魅力だ。
春、周辺の山は薄桃色の桜衣を着飾り息を飲む美しさだ。この辺りの山の土質が桜の生育に適していて山桜の宝庫だという。十数種が国指定の天然物に指定されているそうだ。
能「桜川」では狂女が桜川に散り浮いた花を掬い網で掬い上げ舞い狂うが、現在の桜川には桜はない。昔は桜川公園近を桜川が流れていたと聞いたことがあるが事実どうかは分からない。桜川公園は常磐線、友部駅で水戸線に乗り換え岩瀬駅下車。

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稲村神社境内の歌碑 2017年4月20日写す。以下同じ

常よりも春べになれば桜川、、、、、の紀貫之の歌碑。稲村神社の境内に能「桜川」のワキ僧の磯部寺跡がある。磯部寺は明治初年、廃仏毀釈の嵐の中、廃寺となったという。
昔からそれなりの寺には社が祀られている。例えば清水寺の地主権現のように。
廃仏毀釈の嵐は凄まじく例えば奈良の或る寺では寺の礎石まで壊され坊さん達は寺に祀っていた社の、にわか神主となって祝詞をよんだそうだ。稲村神社のことは分からない。水戸光圀がしばしば参詣したという。光圀は「大日本史」を編纂させた国粋主義者、天狗党の神様的存在だったそうだ。

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里山の山桜

桜川公園近くの里山に見に行った。いつもより数が少なかった。この山にも色々の種類の山桜があるそうだが大方は葉桜になってしまったのか、見られたのは咲き残りか遅咲きの桜だろう、ガッカリだった。

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霞桜と名札が付けてあった。

四月の初め桜川公園を訊ねたらまだ蕾だったと仲間が知らせてくれた。今年は開花が遅れ気味なのだろうと待つことにした。サクラはパッと咲いてパッと散る。頃合いかナと行ってみたら殆どが散ってしまっていた。遅咲きなのだろう霞桜の名の桜だけが満開だった。
能「桜川」では“霞の間には樺桜”謡う。樺桜もあった。

桜川02・訓三
能「桜川」は狂女物と呼ばれ、処の名物を種に狂女ならではの奔放な謡、舞を見せるのを主眼とした能。

少年、桜子は生活苦の母親の姿を見るに耐えられず人買いに我が身を売り手紙を残し東に下る。母は“のうその子は売るまじき子にて候ものを”と子の後を追い東を目指し狂い上る。母が辿り着いたのは常陸の國、桜川。ここは聞こえた桜の名所。子の名も桜子、母は子を懐かしみ桜川の淀みに散り浮く桜を掬い網で掬い舞い狂う。狂女物に付き物の狂いと呼ばれる「網之段」、曲の中心をなす見どころだ。
子は桜川の寺、磯辺寺の僧の弟子になっていてここで図らずも母に遭遇する。親子は共に故郷に立ち帰り仏に仕える身となり二世安楽の身となる。
狂女物の能は芸の面白さを見せることを主眼とした能だが、隅田川の悲劇や、魅力的な名文を連ねた三井寺などの名作がある。

桜川のシテ狂女は“これは筑紫日向の者”と名乗る。筑紫は北九州を指すが九州全域の称でもあるという。「わが故郷の御神をば木花開耶姫と申して」とあるのでこの母は日向(宮崎県)の人だろうか。宮崎から茨城まで千数百キロの長旅、我が子のためならば如何なる苦労も厭わぬのが母なのだろう。能の狂女は我が子や恋人を訪ねて旅をする。桜川の母は桁外れの一番の長旅だった。
  能「桜川」の詳しい解説はこちら




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