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05.13
Sat
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サクラソウ サクラソウ科 2017年5月4日 写す。植栽

花ビラの形が日本人の心の花、桜にそっくり。ピンク色の花弁、微笑んでいるように咲く姿が魅力だ。長野県原村近くの草むらの中に咲いていたのを頂いて植えていたのが増えて、毎年可愛い花を見せてくれる。サクラソウは日本の桜草。知らない人は多い。花屋の店先や花壇を飾るのは西洋桜草だから。
昔は荒川の土手や湿地を覆うように咲いていたという。花の季節には花見用の瀟洒な重箱に料理を詰めて、江戸の好き者が船を連ねて桜草の花見と洒落込んだそうだ。
荒川の自然の桜草は土手や河川敷からほとんど消えてしまったが田島ガ原にわずかに保護されている。ここも怪しげな雑草に虐められ風前の灯だ。
昔の日本人は花の交配に興味が薄かったようだが桜草と菊の交配は別で、殊に熱心だったようだ。意外に思うが江戸の武士が荒川土手の遠駆のついでに変種の桜草を見つけ交配したのが桜草交配の切っ掛けだという。交配した桜草を屋敷に飾り自慢した。今も伝統は受け継がれ花の頃には組み立て式東屋を立て、色々の品種の桜草を飾る。

武士は無骨が通り相場だが花好きの武士もいたのだ。遠く昔の平忠度(ただのり)もその一人だった。熊野育ちで大力、屈強、早業の剛の者だったが和歌をよくし藤原俊成に師事した。和歌への執心は強く朝敵となり死を覚悟し一の谷の戦場に赴く時、俊成を訪ね俊成が編集していた千載集に採り入れるよう懇願した。
「源平などの名のある人の事を花鳥風月に作り寄せて能よければ何よりもまた面白し」と書いたという世阿弥が見逃す訳がない。格好の材料だったのだろう能「忠度」に作った。

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「かの六弥太を取って抑えて腰の刀に手を掛けしに」仕舞「忠度」―山田伊純―(仕舞は能の中の見どころを囃を省き面、装束を付けず紋付、袴姿で舞う)

能「忠度」は武人であり歌人でもあった平忠度の和歌へのあくなき執念を作った能。
ワキの僧は藤原俊成の家人、俊成が亡くなり出家して修行の旅に出、須磨の浦を訪ねる。「花をも憂しと捨つる身の」と謡う。この能の展開を暗示しているようだ。
僧は“一木の桜”(ひときの桜)を訪ねる。一木の桜はこの地で散った忠度の墓標の代わり植えられた木であり、源氏物語、須磨巻所縁の木の名でもある。寂寥感が漂う。
桜の枝を折り添えた薪を負い老人が現れる。忠度の霊だ。賤しい老人姿だが風雅が滲み出る。老人はこの須磨の浦の塩焚きだという。塩焚きが海ならず山に通うのはと不審する僧に、塩は薪がなくては焚けまいという。老人を飄逸に描いて一味加えて名所教え等の作能法に似た場面だ。二人は打ち解け、やがて日も暮れる。僧は老人に宿を所望する。「この花の陰ほどのお宿の候べきか」と老人は一木の桜を指す。「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」忠度が短冊に書き付け箙に付けて一の谷の戦いに臨んだ歌を暗示する。

僧は一木の桜の下で旅寝をする。僧の枕の元に武装の忠度が現れる。
一の谷の戦いに赴く切迫した中に意を決して狐川から引き返し藤原俊成に千載集に自作の歌を採り入れてくれるよう懇願する忠度の和歌への執心が切々と語られる。
一転して忠度の最後が語られる。岡部六弥太の郎党に腕を切り落とされるところや六弥太に首を討たれる場面は能独特の表現法で扇を巧みに使い象徴的に演ぜられ生々しい場面が能的情緒に転化される。忠度の姿で六弥太の郎党や六弥太を演じるのも能独特の演出法だ。
箙に付けられた「花や今宵の主ならまし」と詠んでこの能の主題を述べ留める。
  
能「忠度」の詳しい解説は「こちら
山田伊純公式サイトは「こちら
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