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06.03
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ウツギ(卯の花) 2017年5月7日 奥多摩町丹波山で写す。

純白の小花を、雪が積もったようにふんわりと咲かせる。美しい姿はまさにウエディングドレスの花嫁。
夏が近づくと“卯の花の匂う垣根に”の唱歌「夏は来ぬ」がラジオやテレビから流れた。この頃トンと聞こえない。昔の歌だからという理由だけではないと思う。今や世の中は物質的には豊かな時代。国の隅々まで楽しいことが行き渡っている。野や山の木や草の花などには目が向かないのだろうか、歌は世相を写すのだろう。

「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」奥の細道の曽良の句だそうだ。芭蕉の「奥の細道」のお供で奥州に下った時、白河の関で詠んだという。“かざし”は髪飾りのこと、うらぶれた芭蕉と弟子、曽良の姿が目に浮かぶ。
昔は白河の関を通る時、衣冠を正して通ったという。昔、奥州は地の果てだった。地の果てに向かう覚悟の儀式のようなものだったのだろうか。曽良の茶目っ気にも聞こえるが不真面目な解釈だろうか。
芭蕉は平安後期の歌人、西行に憧れを持っていたそうだ。西行は奥州を数回旅した。奥の細道は西行の後をたどる旅だったともいう。西行は元、北面の武士、頑強だっただろう。持病持ちの芭蕉は決死の旅だったという。
白河の関の近くに「朽木の柳」の旧跡がある。西行がここで「道の辺に清水流るる柳陰、暫しとてこそ立ちとまりけれ」と詠んだ跡だ。
芭蕉は「田一枚、植えて立ち去る柳かな」と詠んだ。この時の芭蕉の手控えに紙が貼ってあり「田一枚、、、」の句は貼った紙の上に書いてあった。貼った紙の下をX線で見たら別の句があったと新聞で報じられていたのを読んだことがある。芭蕉はあまりにも西行を意識し過ぎたと思い、後日作り変えたのだろうとあった。

旧跡「朽木の柳」は能「遊行柳」に由来する。西行に詠まれた柳の精が僧の前に現れ、柳にまつわる故事を語るという枯淡な境地を作った能だとする。
枯淡とは何?辞書に枯淡とは、世俗的な名利にとらわれず、さっぱりしていること。また、そのさまとある。今の世相では枯淡も影が薄く理解も曖昧だ。能には世を捨てた人物が登場する。多くが僧だ。僧は名利を離れひたすら仏に仕える人。

遊行柳


手飼の虎の引綱も長き想いに楢の葉の、、、(御簾の中で柏木たちの蹴鞠を見物していた女三宮の飼い猫が逃げ出し猫の引き綱で御簾がめくり上がった。柏木はチラリと見えた女三宮の姿に、たちまち恋に陥った。柏木は光源氏の正妻であった女三宮を長く思い続けた。源氏物語、若菜ノ巻。手飼の虎は猫のこと)

能「遊行柳」のワキは遊行上人、所は白河の関近く、陸奥の入り口。上人の前に現れた老人は上人を朽木の柳に案内する。「人跡絶えて荒れ果つる、、、、、昔を残す古塚に。朽木の柳枝さびて、、、」
人の欲望、名利を離れた閑寂な空気を湛えたまま前場は終わる。

老人は柳の精だった。神に似た姿で再び僧の前に現れ柳の故事を語る。クセの前半では
清水寺の本尊、楊柳観音の来歴をかたり、後半で蹴鞠に因んで源氏物語、若菜ノ巻の柏木の恋を語る。蹴鞠の広場の四角には四本の木が植えてあり中の一本が柳であった。
蹴鞠の型や女三の宮の飼い猫の引き綱の長さを、想いの長さになぞらえた象徴的な型が面白い。
クリからクセにかけて語られる柳の故事の物語には一貫性はなく、見る人の思いが凝縮することもなく断片的に移り行き個々の物語に触発されて枯淡な時が流れる。閑雅な空気も混じるのは柏木の恋に思いが及ぶからだろうか。
柳の精は「序ノ舞」を舞う。序ノ舞は女性が舞う優艶な舞とされる。男では業平が舞う。
柳の精が舞う序ノ舞は閑雅な境地をねらったもので、数ある能の舞の中で序ノ舞が最も相応しいのだろう。優艶な舞とされる序ノ舞も老人が舞えば全く違った境地を醸し出す。
人との離別の時、輪にした柳の枝を贈るという故事を謡い、老いの足も心もとなくよろよろと倒れ伏し「露も木の葉も散りじりになり果てて、残る朽ち木なりにけり」と留める。
大きな空虚感が、やがて大きな感動に変わっていく。
   
   能「遊行柳」の詳しい解説はこちら




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