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06.10
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クマノミズキ ミズキ科 2017年5月30日 山梨県三富村で写す

クマノミズキは大木。花を間近に見るのは難しいが、山道の崖下に咲いていて道までせり出しているのに出会ったことがある。真っ白の十字型の小花が手の平のようにかたまって咲く。山桜が終わり代わってクマノミズキが新緑の山を飾る。
クマノミズキは漢字で熊野水木だが熊野特産ではないという。全国にあるそうだ。熊野には特に多いのかどうかは知らないが、熊野で学者が名前を付けたかららしい。水木の名は水を沢山吸い上げるからという。熊野は雨の多い所で知られている。

木の花にはあまり関心がなかったし、クマノミズキの名も知らなかった。
フトしたことからこの花は忘れ難い思い出の花となった。
心の師と思っていた人が突然なくなり高尾の墓所にお参りした。帰り道にクマノミズキが咲いていた。見るともなくボーっと見上げていたら、「クマノミズキだよ」と後ろから声がした。振り返ると森田だった。
森田の家は本屋で、出入りしているうちに森田の父親と懇意になった。森田とは年齢も近くごく自然に親しくなった。
森田は大企業の営業の仕事をしていた。森田は元々酒に弱かった。取引先の接待から飲めるようになった。元々アルコールに弱い体質、アルコール依存症になり入院した。
退院した森田に職場の上司以下、同僚が退院祝いと称して飲み会をして森田に酒を飲ました。人のいい森田は飲んだ。
酒を拒否する薬を処方されていた森田は嘔吐し、苦みながら断り切れずに飲んだ。森田は再入院した。
高齢の父親の切々とした話が聞くに堪えられなかったが、森田の虚ろな目や姿を見ると諫言じみたことは言えず、要領の悪い励ましの言葉しか言えなかった。
その後転居したので森田に会うことはなかった。

高尾で再会した森田は全くの別人だった、というか元に戻った森田だった。森田はボーイスカウトの制服を着ていた。柔和な笑顔を浮かべた、人のいい森田に戻っていた。“いい人”とは、自分によくしてくれる人の事だと思っているが森田は誰にでもいい人だった。
父親の必死の説得に会社を辞め、父親の書店を引き継いだと話してくれた。
能に登場する人物は森田のような、人のいい人物は少なく強烈な性格の人達が多い。中でも平安末期の歌人、藤原定家は強烈を代表する。能「定家」に作られた。

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定家カズラの絡みついた墓石の中から現れた式子内親王の亡霊が報恩の舞いを舞う。

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テイカカズラ(定家カズラ)2017年6月8日武蔵野市境南町で写す
定家カズラは煩悩の権化のように何物をも厭わず絡みつく


能「定家」は、藤原定家の式子内親王への凄烈なまでの恋を描いた能。
「玉の緒よ、絶えなば絶えねながらえば、忍ぶる事の弱りもぞする」式子内親王の歌だそうだ。式子内親王は後白河院の皇女、定家との恋を隠そうとしたが二人の恋は漏れ式子内親王は定家との逢瀬を拒む。式子内親王の亡き後、定家の内親王への恋の執念は蔦鬘となって内親王の墓石に絡みつく。
僧の読経に、ほぐれた蔦鬘の墓石の中から憔悴した式子内親王の亡霊が現れ、定家の呪縛からしばし解放された報恩の舞を舞う。舞は「序ノ舞」。序の舞は優艶な女性の舞というのが相場だが、憔悴していても内親王、序ノ舞が相応しいというのだろうか。同じ序ノ舞だが凄惨とまでは云えまいが異質の空気が漂う。
舞終えた内親王は、恥ずかしい姿を何時までも見せまいと云いつつまた墓石の中に帰って行く。再び蔦鬘が絡みつく。この曲に定家自身は登場しないが定家の怨念を漂わせたまま終わる。

作者は金春禅竹。重厚な詞章と仏教思想の重圧が重くのしかかる能。禅竹は仏教に深く傾倒した人でもあったという。
小書(特殊演出)が多いのはこの曲が重く扱われる証だろう。
藤原定家は、おごり高ぶり、へりくだりのない頑固者の嫌われ者で出世もままならず極貧だった時もあったと云うが、歌人として歴史に名を残した。興覚めかも知れないが定家は式子内親王より十歳以上も年下、二人の恋はフィクションではないかとも云われる。
   能「定家」の詳しい解説はこちらこちら
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