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07.01
Sat
乙女高原は山梨市の東にあり秩父連山の国師ケ岳が間近い。
深い森林に囲まれ道路、駐車場、休憩所、トイレも整備されているが訪れる人は少なく静か。偶然に発見、以来度々訪ねる。
下界は初夏だが、ここは標高1700M、まだ春、早春の花も咲いていた。

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ミツバツチグリ(三つ葉土栗)バラ科 2017年5月30日写す。以下同じ

珍しくもないキジムシロだと思って無視、通りき過ぎようとしたが、近くにあった案内板を見て名を知った。
初めて聞いた名だと思った途端目を輝かせて引き返ししげしげと見つめた。名に拘るとはと我ながらおかしな奴だと思った。
三葉土栗はキジムシロにそっくりだが根が太く膨らみ九州に多いツチグリに似ていて葉が三ツだから付いた名だそうだ。
ツチグリの根は栗の味で美味しいそうだが三つ葉ツチグリは繊維だらけで食べられないという。

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サクラ バラ科

人が植えた園芸種か山桜か分からない。時季外れの桜が目を引いた。既に春は去ったと思っていたがここは未だ春だった。
♪春が来た、春がきた、どこにきた、乙女高原にきた、と歌ってしまった。わざと音痴で歌った。静寂の中で寂しかったから。

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トチノキ トチノキ科

漢字で栃ノ木。漢字といっても栃は日本で作られた字だという。国字というそうだ。中国には栃ノ木はないのだろうか。実は栗にそっくり、食べられる。
といってもそのままでは食べられない、毒があるから。手間暇かけて水で毒を抜く。
虎やオオカミ、ライオンは獰猛な動物の代表。だが毒のあるものは食べない。人間は木でも草でも動物でも、毒までも食べる。
人間ほど獰猛な動物はいないナと。
奥鬼怒温泉の帰り道、トチ餅を食べたのを思い出した。道の駅でシワが物言うおばあちゃんが売っていた。美味かった。
奥鬼怒は栃木県、栃の木が多いから栃木県かナと呟きながら食べた。

パリの街路樹に栃ノ木の並木があった。五月だったと思う、花が咲いていた。ヘエ~と
感じ入っていたらガイドさん、シャンソンで有名なマロニエですと教えてくれた。
マロニエは栃ノ木と同属だそうだ。そっくりで見分けがつかない。

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クリンソウ(九輪草) サクラソウ科

桜草の仲間では断トツの大柄の花。幼児の背丈ほどに伸び、幼児の頭ほどにかたまって小花を咲かせる。
これは日本の花?野生の花?と疑うほど思いっきり華やか。
斜面を駆け下りた瞬間、急に開けた湿地にその艶姿が目に飛び込んだ。
能では何処ともなく美女が現れる。一瞬、美女が現れたかと思った。すらりとした立ち姿は気品ある美女、楊貴妃もかくやとばかり。もちろん会ったことはないが。
楊貴妃は世界の美女、当時日本人の憧れだった唐の美人だ。能に作られない訳はない。「楊貴妃」だ。

楊貴妃
「しるしのかんざしまた賜りて」玄宗皇帝との思い出の簪を方士に授ける楊貴妃

「楊貴妃は女能の第一、装束なども結構なものにし、立ち居振る舞いも美しくして、さほど習い事はないが重々しく舞うこと」長老の言。この能の内容を的確に言い得て、演ずる側には有難い教訓であり、観る側には鑑賞の心得になるのでは思う。

楊貴妃は聡明で思い遣りが深く、歌舞音曲にも優れた人だったという。美人の条件は容姿が美しいだけではないという事だろうか。
高宗の妃、則天武后や玄宗皇帝の前の皇帝の妃、偉后が権力に目がくらみ政権を簒奪しことをつぶさに知っていた筈だが、政権には目もくれず玄宗皇帝との愛の生活に没頭したという。
玄宗皇帝は容姿にも優れ「改元の治」の善政で知られた賢帝だったという。芸術の素養深く自ら曲をも作り「皇帝梨園弟子」という歌舞音曲の養成所を作った。日本の歌舞伎の世界を梨園と呼ぶ語源だという。性格温和で人々に慕われた。
能「楊貴妃」の骨格をなす白居易の詩、長恨歌は楊貴妃と玄宗皇帝の人柄の魅力を偲んで作られたという。

安碌山の乱で楊貴妃を失った玄宗皇帝は日夜想いに沈み、せめてもの事にと、方士に魂魄のありかを探させる。
方士は神仙の術を持つ。神仙の住む蓬莱宮に行き楊貴妃の魂魄を探し当てる。
貴妃は方士に玄宗との愛の日々を語る。別れの時がくる。方士は蓬莱宮を訪ねた証拠を賜りたいと言う。
貴妃は常に身につけていた玄宗に賜った簪を与える。方士は、世間に似たような物がある、貴妃と玄宗皇帝と交わした蜜語があったらそれを証拠に持ち帰りましょうという。
貴妃は玄宗皇帝との睦言を教える「天に在らば願わくは、比翼の鳥とならん、地にあらば願わくは連理の枝とならん」
白楽天の詩「長恨歌」の一節。古臭いかも知れないがプロポーズの殺し文句にどうだろうか、冗談だが。
「浮き世なれども恋しや昔」あの世とこの世と隔てられ会うことはできないと「伏し沈みてぞ留まり(蓬莱宮に)ける」と終曲となる。貴妃の伏し沈む姿が美しい。

楊貴妃は安碌山の乱の犠牲になった。長安の都を逃れる途中、玄宗は兵士の怒りを抑えきれず宦官、高力士に貴妃の処刑を命じた。兵士の怒りは、反乱の一つの要因でもあった楊貴妃の又従兄、楊国忠の横暴に対する反感だったが次第に激化して貴妃にまで及んだ。
故なくして殺されながら、この曲には楊貴妃の恨みの語は一言一句もない。ただひたすらに長恨歌にのせて愛を謳う。名曲として人々に親しまれる所以であろうか。

能「楊貴妃」の詳しい解説はこちら

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