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10.21
Sat
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白樺湖 2017年9月30日写す。以下同じ。

9月も終わりに蓼科高原を訊ねた。春、ワラビ狩りに度々訪れるが秋は初めて。
下界は夏の名残を残すが、さすが高原、秋色濃かった。
白樺湖は、一頃は憧れの地だった。今は何やら活気が感じられない。
人通りも少ない。理由は分からないがここ白樺湖だけではなさそう。
行く先々の景勝の地も同じような雰囲気。
日本人、温泉が飽きたか、長引く不況で財布の紐を〆っぱなしか。
辺りは野の花や紅葉の絶景に息を呑む程なのに。

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ゴマナ(胡麻菜)キク科

白樺湖の岸近くに咲いていた。
白い花弁の真ん中に黄色いアクセント、底抜けの秋の空に映えて
清楚この上もなくきれいだった。
よく知られた山菜だが食べたことはない。
どんな味か食べてみたいが花を想うと二の足。

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クサフジ(草藤)マメ科

こんもり盛り上がるように茂り、大振りの房の花を誇る。
ここは高原、既に花盛りは終わり残り咲きだった。
深い青紫の花色が魅力。
町の空き地や藪に咲いているカラスのエンドウや
スズメのエンドウを大型にした、彼等のいわば親分のような花。

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アキノキリンソウ(秋の麒麟草)キク科

金一色に華麗な花。
麒麟の名がいい。麒麟は想像上の動物。体から五色の光を放つ霊獣。
この花の名にぴったり。大好きなビールの商標にもなっている。
この名に異を唱える学者もいるようだ。
「黄輪」又は「金覆輪」から付いたとか。学者は可哀そう、自説に拘る。
どうせ誰かが思いつくままに付けた名だろうに。
素人は気楽でいい。好きな名でいいのだ。

麒麟は千里を走る駿馬をもいう。
能「景清」では「麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如きなり」
と平家の猛将平景清は嘆く。
能は直接的な表現を嫌う。観客の想像力を制限するから。
能「景清」は能の能たるを見せる能。
型は極端に限られ、大方はシテ景清の姿からにじみ出る強烈な“気”と
詞章が波乱の物語を作る。能の優れた作劇法だ。

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娘、人丸に八島の戦いでの武勇を語る景清

悪七兵衛と呼ばれた平家の猛将、平景清は平家滅亡後、日向に流され
その身は盲目となり、乞食の身をあばら家に過ごす。
冒頭、落魄の身を託つシテ景清の「松門」の謡が物語を包括する。
この能の成否を決めるこの謡に古来演者は心血を注いできた。

鎌倉に預けていた只一人の娘、人丸が遥々日向に父、景清を訪ねる。
敗残の、盲目の身を仏に縋ることもせず閉居する景清には、
訪ねて来る者も煩わしくやり過ごす。
さすが親子の絆は固く我が子であることに気付く。
全てを捨て去った景清に親子の情が湧きおこる。
老いた落魄の景清の情がしみじみと次第に熱く伝わる。
事情を聞いた所の人は、今の身の上を恥じ名乗らなかったのだろうと
一計を案ずる。
「いかにこの内に景清の渡り候か、悪七兵衛景清の、、、」と呼ぶ。
景清の激情が走る。
「かしまし、かしまし」うるさいと怒鳴る。
「故郷の者とて訪ねしを、この仕儀なれば身を恥じて名乗られ帰す悲しさ、
千行の悲涙袂を朽たし」と悲憤し更に我が身の盲目に及ぶ。
「目こそ暗けれど、、、、、さて又浦は荒磯に寄する波も聞ゆるは」
景清は藁屋の柱に縋り立ち上がり波の音をきく、わずかな型の一つだ。
景清の万感が迫る。
激情が治まった影清に所の人が娘、人丸を引き合わせる。
「御身は花の姿にて」と慈しみ、親と名乗ったならば花の身も
乞食の娘となろう、親とは名乗れなかったと述懐する。
武骨者の優しさが胸に迫る。
娘は、聞こえた景清の八島での武勇を所望する。
「何とやらん似合わぬ所望」と娘に云いつつ盲目落魄の景清が
往年の荒武者に戻り、床几に掛り扇を刀に戦いの様を見せ、
三保の谷の四朗との“錣引き”を見せる。
やがて別れの時が来る。人丸は遥々三百余里の彼方、鎌倉に帰っていく。

能「景清」の詳しい解説はこちら



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