FC2ブログ
12.09
Sat
171209_IMG_5223.jpg
御嶽神社 2017年11月25日写す。以下同じ

171209_IMG_5220.jpg
講の参拝記念碑

御岳山山頂の御嶽神社は由緒のある神社だそうだ。
創建は第10代崇神天皇だそうだが、浅学の者には神代に近い遠い時代
としか想像が及ばない。
お参りの団体、講の人達が泊るために建てられたという宿坊の数の多さが
信者の多さを示しているのだろう。
参道沿いには講の人達の記念碑が立ち並んでいる。
建立年は平成2年が一番新しかった。
宿坊で時折、謡曲の声の鍛錬会をする。ここにも講の人達の記念の額が飾ってある。
額も平成1,2年より新しいものはなかった。
時代と共に講の形も変わって行っているのではと要らぬ老婆心、しきりだった。
参拝の人は多いが信仰よりも観光の色が濃いように思われた。
薄れて行く信仰心、世相を写しているのだろうか。

御岳山周辺は色々な珍しい野山の花が咲く。既に初冬。花は全く見られなかった。

171209_IMG_5204.jpg
ヤマユリ(山百合)の実 ユリ科

171209_2763.jpg
ヤマユリ(山百合)の花(2016年7月8日 調布市、浅間山で写す)

薄暗い杉木立の下に枯れ残っていた。
生きとし生けるもの、その命を精一杯に飾り滅びていく。
避け得ぬ宿命、チラリと頭をよぎるが深く思うのは無理に止めた。
最後は自分に及ぶから。

野や山に咲く花には、人好きな花と人嫌いの花があるようだ。
山百合は人嫌いの代表格。庭に植えても2,3年で消える。
人の住家の周りの土壌菌の仕業だそうだ。
ユリが嫌う土壌菌は日本海側には無く、百合の仲間の球根、例えば
チューリップ等の球根の栽培は裏日本の富山などで行われているという。
日本は狭いようでも意味に依っては広い。
花屋の店頭を飾るユリは交配したもの。
オランダではチューリップに代わり百合のコンテストが盛んと聞く。
百合は日本の花、江戸末期オランダの人シーボルトが持ち帰ったのが始まりという。
花屋のユリはオランダの人達が考えた交配種の逆輸入ということになるだろうか。
交配種のユリは豪華できれいだがやはり野山にひっそりと咲くユリがいい。
人の目を意識せず己一人華やぐ。自然が育んだ、得も言われぬ色合いを持っている。

豊かな今の世では生活のため野山の花を売るというのは見たことも聞いたこともない。
観光客目当てに道端や売店で売っているのはほとんど畑で栽培したもの。
能では野山の花を手折って売る花売りおじさん、花売りおばさんが登場する。
「雲雀山」の花売りおばさんや「芦刈」の花売りおじさんが花売りの芸を見せる。
中世の人達の芸がほの見えて面白い。

171209_img001.jpg
雲雀山 使用面。曲見(しゃくみ)慈母の相貌

「雲雀山」は中将姫の乳母の物語。
姫の父、右大臣藤原豊成は讒訴を信じ姫を殺せと命じる。
乳母は姫を雲雀山の麓に雨も漏る粗末な小屋に匿い、野山の花を旅人に売り命を継ぐ。
詩歌や故事を引いて謡い舞い旅人の気を引いて売る。
曰く有り気な花売りおばさんに客が事情を聞く。
「あら、むつかしとお尋ねあるや、召されまじくはお心ぞとよ」
あらまあ、むずかしい事をおっしゃる、お買いなる気がないなら結構よ!
花売りおばさんがやり返す。流石姫の乳母、気品を見せる。
無視して素通りする人に「などや花は召されぬ、花好かぬ人ぞおかしいき」
行き来の人に問答をしかけ、謡い舞い注意を引いて必死に花を売る。
姫の身の上、行く末を思う心が痛々しい。

中将姫は伝説上の人。許されて雲雀山から助け出され、大和当麻寺に入り
終生仏に仕えたという。
仏の手助けを受け蓮の糸で織った曼荼羅が奈良、當麻寺にあるという。
歌舞伎や浄瑠璃にも取り上げられているというから、ごく近世まで人々の
信心に近いものを集めた人だったのだろう。

能「雲雀山」の詳しい解説はこちら
comment 0
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top