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02.10
Sat
にわ
猫の額 2018年2月2日写す。以下同じ

建て直す前、水道橋能楽堂の楽屋の上に女学校があり音楽の時間に歌声が
聞こえて来た。
♪庭の千草も虫の音も、枯れて寂しくなりにけり♪戦前の文部省唱歌。
平成になっても聞かれたがこの頃トント聞こえない。
昭和は遠くなりにけり、だろうか。冬の猫の額を見ていると感慨しきり。
能「三輪」では三輪山の山陰に隠棲する玄賓僧都の住家のありさまを
「秋寒き窓のうち、軒の松風うちしぐれ、木の葉かき敷く庭の面、門は葎や閉じつらん」と謡う。我が家の猫の額もこれらに負けず劣らず惨憺たるありさまだ。
万物、負の時だから春を待つしかない。

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トウガラシ(唐辛子)ナス科 2018年2月1日写す。以下同じ

トウガラシは種を蒔いてその年の中に花を咲かせ実をつける。
いわゆる一年草だという。
だが我が家の唐辛子は幾冬に耐え、生き続けている。
春には白い可愛い小花、秋に真っ赤な実、春秋二回も見せてくれる。
かなり前、種子島、屋久島に旅行した先で種を頂き蒔いた。
今は“草”ではなく立派な木。
南西諸島では唐辛子は木になっている。種類が違うのかどうかは分からない。
このトウガラシの実で「柚子胡椒」を作る。
柚子胡椒は北九州の香辛料だったが今や全国的。
冬の鍋料理には欠かせない。作り方を唐津の友達に教わった。
青い柚子の皮を削ぎ、青いトウガラシと塩少々、フードプロセッサーで練って
出来上がり、いたって簡単。市販のものより香りが高い。
九州、沖縄では唐辛子をコショウとよぶ。ゆえに「柚子胡椒」

石垣島の白保村の人達と縁があって度々訪れた。
珍しいサンゴの群生と熱帯魚が泳ぐ美しい海が広がる。
夕方、素潜り漁のおじさん達が泡盛のビンをぶら下げて三々五々浜辺に集まり
酒盛りが始まる。時には観光客も招き入れ飲めや歌へ踊れの大酒宴となる。
客が増えると長老が若者に向かい顎をしゃくる。
心得た若者が肴を長老の家から調達、近くの家の雨戸を外し食卓に、
庭の唐辛子をもぎり取ってくる。
南西諸島では刺身の香辛料はワサビではなく猛烈に辛い唐辛子だった。
石垣島はこのところ観光客が溢れ以前の雰囲気が薄れたように思う。
以前の酒盛りは夢のまた夢だろうか。

インドでカレー料理を食べた。色々な野菜や鶏肉をカレー味で煮た料理だった
と思う。付け合わせに青いトウガラシが三個添えてあった。
同行のおじさん曰く、このトウガラシはそう辛くない、少々ピリッと来るだけ、
カレー料理には欠かせないとしきりに勧めた。同行のおじさんとおばさんの
六つの目がこちらのフォークに注がれた。色も形も石垣のトウガラシにそっくり、
辛くない訳がない。だが食べたからとて死ぬわけでもなし、みんなの期待に
添うべきか散々苦渋の選択の末、尻の方を少し齧ってみた。辛くなかった。
風味さえ感じた。一気に安心、丸ごと齧った。五秒後、口の中が爆発した。
鼻水の激流、目からも鼻水がほとばしった。

小人の苦渋の選択を引き合いに出すのはとんでもなく不遜だが源平相争う時代
苦渋の選択を迫られた武将がいた。源氏の武将、熊谷次郎直実。
一の谷の戦いに少年武将、平敦盛と組打ち、首を斬ろうと兜を押し上げる。
平家物語に「年、十六、七ばかりなるが薄化粧して鉄黒なり、、、、、」
直実は我が子に思いを重ね逃がそうとしたが後ろに源氏の武将、土肥、梶原が
続いていた。彼らに討たれるよりはと、苦渋の選択の末、敦盛の首を打つ。
「いづくに刀を立つべしとも覚えず目もくれ心も消えはてて前後不覚におぼえ
けれども、さてしもあるべき事ならねば泣く泣く頸をぞかいてンげる」
その後、直実は敦盛の後を弔うため出家、蓮生と名乗り一の谷を訪れる。
能「敦盛」この場面から始まる。

一の谷に着いた蓮生が往時を回想していると笛の音が聞こえる。
笛の主は若い草刈り男達だった。
蓮生と草刈り男は笛について問答を交わす。
草刈り男の登場から笛問答、若々しい姿は清々しく優雅さも加わる。
草刈り男は敦盛の幽霊だった。敦盛は父、経盛譲りの笛の名手だった。
蓮生は敦盛の菩提を毎日毎夜弔っていた。敦盛の霊はその報恩のため
現れたと言い残して消え失せる。

十六
「敦盛」使用面「十六」
口元の生毛や眉に初々しさが残る。敦盛の顔を想像して写したという。

蓮生の読経に引かれるように「淡路潟、通う千鳥の声聞けば、寝覚めも須磨の
関守は誰そ」和歌を口ずさみながら敦盛の霊が美しい少年武将の姿で現れる。
面は「十六」呼ばれ、初々しさが残る。
「平家にあらずんば人に非ず」の栄華から急転直下、須磨の浦に追い詰められ
須磨の里人と同じ生活を強いられた悲惨がクセで語られる。
須磨の浦の最後の夜、敦盛の父経盛は一門を集め笛を吹き今様を謡い
舞い遊んだ。経盛、敦盛父子は笛の名手で鳥羽院相伝の笛「小枝」を
敦盛は最後まで身から離さなかった。夜遊の笛は「小枝」だった。
その夜遊の舞を「黄渉早舞」で見せる。少年の舞が美しい。
平家物語に熊谷直実が敦盛の首を打つ時、名を問う。敦盛は直実の名を聞き
身分の違いに名乗るまでもないと、
「さては汝にあうては名乗るまいぞ。汝がためにはよい敵ぞ。
名乗らずとも頸をとって人に問え。見知らうずるぞ」と名乗らなかった。
日々夜々弔う蓮生に敦盛の恨みは消え身分の垣も消え、戦った昔を回顧しようと、
頸を討った本人の前でその場を再現して見せる。
凄惨な場面は緩和され、同じ蓮に生まれるべき人間同士であったと留る。

能「敦盛」の詳しい解説はこちら
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