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07.14
Sat
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江の島 2018年6月3日写す。以下同じ

鎌倉から藤沢までを走る可愛い電車、江ノ電。
鎌倉の民家の軒をかすめて走り海際に出ると向こうに江の島、
絶景が広がる。
あたりの海はサーフィンやウインドサーフィンのメッカ。
江の島はその古、歌にうたわれロマンチストの郷愁の島だった。

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デイゴ(梯梧又は梯姑)マメ科

江の島と目と鼻のホテルの庭に咲いていた。
デイゴは沖縄の県花。沖縄では街路樹や公園、民家の庭先を豪華に飾る。
インドやマレー半島あたりの原産らしいく、超ハデな花。
こんな所で見るなんて意外だった。
沖縄ではデイゴの木でアンガマーの面を作る。
アンガマーは歯の抜けたお爺さんとお婆さんの面。
アンガマーの面を付けた二人を先頭に踊りながら家々を回り長寿を寿ぐ。


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テイカカズラ(定家葛)キョウチクトウ科

奥多摩で取ったやつ

テイカカズラは木や岩に遠慮会釈なく絡みつく。
絡みつくので垣根などに植えられている。
花は上品な高貴な香りがする。
それもその筈、式子内親王の香りなのだ。
式子内親王は鎌倉初期の歌人、後白河天皇の皇女。
鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家は親王に執拗なまでに恋をした。
死後、その執心はテイカカズラになり式子内親王の墓石に絡みついたという。

能「定家(ていか)」はこの凄惨な定家の恋を執拗なまでに見せる。
曲の名は定家だがシテは式子内親王。定家は登場しない。
クセでこう謡う。
「憂き恋せじと禊せし、加茂の斎の宮にしも、そなわり給う身なれども」
辛い恋などしないと神に誓って加茂神社の齋院に上がった式子内親王だった。
だが定家は容赦しない。病を得て齋院を退いた内親王の元に通う。

能は不思議な芸能だと思う。何処からが始まりか分からない。
見所と呼ぶ客席には他にはない雰囲気が漂っている。
幕が上がる前に幕の前で囃子方が「お調べ」と称する、楽器を奏するのが習わし。
楽器の小手調べという意だろうが、前触れもなく突然始まるお調べに、
見所のざわめきが一瞬にして止まる。
囃子方が片幕で登場、片手を腰に当て威儀を正して歩み、
茶の湯の“にじりぐち”に似た切戸口から地謡が登場、
座に就くと笛が「ヒシギ」吹く。
地球上の音楽にはない、とんでもない高音。予期も何もかも吹っ飛んでしまう。
どこからが能の始まりかは、その人任せでいいのかもしれない。

能は美味しい果物。果肉が幾重にも皮状に重なっている。
果肉はそれぞれ芳醇な香りを放ち更に陶酔剤が配合されている。
芳香や陶酔剤の成分は和歌、漢詩、故事、舞など、
これらは人の想いが凝縮されたものの発露だからだ。
核心の果肉は途中にあったり最後にあったりする。
能と云う果肉を食べ終わり陶然として家路につく。

後見が“山”と称する作り物を舞台の後方の真ん中に据える。
山には蔦鬘が巻き付けてある。ツタ、カズラが目をひく、式子内親王の墓。
最初の果肉かもしれない。
「山より出る北時雨」ワキが謡う。ワキ僧は自ずから時雨亭に導かれたのか
式子内親王の霊に導かれたのか。
静かに現れた内親王の霊の化身、里女は時雨の亭のいわれを教え、
荒涼とした佇まいを地謡が謡う。
この初めの地謡を初同といい物語の舞台設定のカギであり、
舞台の成否を左右するとまで云われる。
女は内親王の墓に案内し墓石にまつわりつく葛は藤原定家の執心が葛なって
絡みついたのだと語り、続くクリ、クセで二人の交情と恋の結末を語る。
クリ、クセは地謡が謡う。
シテは葛が絡みついた作り物に、縛り付けれたうずくまっている。
何時しか地謡の声はシテの呟きになっていく。
「誠の姿はかげろうの、石に残す形だに、それさえ見えず蔦かずら」
墓石の形も分からない程に絡みついた墓のなかに帰って行く。
舞台の設定は全て終わり核心の果肉の出現に息を呑む。

僧は法華経を読む。
式子内親王が墓石の中からから姿を現わす。
その姿は凄まじい。皇女の姿ながら色無しの着衣に顔は「痩女」
「亡き後までも苦しみの、定家蔓に身を閉じられてかかる苦しみ隙なきところに」
僧の読経に蔦鬘が解けたのだ。内親王は報恩の舞を舞う。
舞は「序ノ舞」。序の舞は優女の舞が通り相場。
痩せ女が序ノ舞を舞う。
昔、宮中で翻した花の袖と謡うが鬼気を拭い得ない。
舞い終えて内親王の霊は墓所に帰る。墓石は再び蔦鬘に覆われる。
これほどまでに凄惨な結末があるだろうか。
読経の功徳は一時の間だったのだろうか。

能「定家」の詳しい解説はこちら



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