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09.15
Sat
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神護寺本堂 2018年7月27日写す。以下同じ

小学生の孫が能「望月」の子方を勤め、鞨鼓を舞った。
心配していいたが予想外のよい出来だった。
褒美に何か欲しいものは?と聞いたら京都の金閣寺が見たいという。
今時の小学生らしからぬ要望にビックリ!
内心嬉しかった。古い物に興味がある子もいるのだナと、それも身内に。
実はこちらにも行きたい処があった。
鞍馬の山。ここには笹百合が咲いていると聞いていたから。
笹百合は関東には咲かない。自然のものは見たことがない。
以前訪ねたことのある神護寺に行った。
花期は少々過ぎたがこの辺りだったたら咲き残りの1,2本くらいは
あるかも知れないと。
売店の年配の女性店員に笹百合の咲いている所を聞いたら、
以前はそこらじゅうに咲いていたが年々少なくなり最近は全く見ない、
猪が鼻で掘り返して食べたのだと身振り手振り、鼻をふくらまして、
鳴らしてまで教えてくれた。

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皿投げ。神護寺境内。画面中央の小さな白い点が皿


売店の人の話が真に迫っていたので笹百合は諦め皿投げで憂さを晴らした。
手の平の、半分ほどの素焼きの皿を投げる。
眼下は清滝川の渓谷、深く広々と上流に広がる絶景。
皿には厄除の二字。
鳥のようにふわりと浮き弧を描いて彼方にきえる。“厄”の飛行が心地よい。
下に落ちた“厄”はうず高く積もっている筈だ。
「ここは天狗の住む鞍馬、“厄”を盗む天狗が現れる。天狗は京の空を飛廻り、
京の都に“厄”をばら撒く。天狗退治は不動明王?何処かの国の核大将?」
面白い能になると悦に入ったが思えば愚想、悪ふざけ。
だが有り得ないことを空想するのも心の肥料、
空想が涌くのも場所によるのかもしれない、愚想だが神護寺に感謝。

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ツチグリ(土栗)バラ科

花が全く咲いていなかった。
鹿メに食べられたのだろうかと邪推しきり。
雑草の花も、しょぼくれハルジオンが少し。ガッカリ。
うなだれて歩いていたら道端に咲き残りのツチグリが咲いていた。
それも一輪だけ。
ツチグリは雑草だが関東にはない。
根が膨らんでいて食べられる。栗の味だそうだ。だから土栗だという。
食べたことがないので少々心が動いたが止めた。
たった一本だけだったから。善人ぶったところもある。

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ヒカゲノカズラ(日陰の蔓) ヒカゲノカズラ科
シダ類には多分に変わった形のものが多い。
ヒカゲノカズラはその最たるもの。
細い毛むくじゃらの手が枝分かれして伸び、まるで妖怪、インベーダー。

この頃のマンガには想像を絶する怪物が登場する。
人間が空想する域を超えた怪物達に見える。
だが自然界をよくよく見れば、奇怪な形のものがかなり生息している。
例えばバッタやトンボ、亀、深海魚。よくよく見れば怪獣の顔。
これらにヒントを得たのかもしれない。
能は昔の人が作ったものだが、口から火を吐きかけ、水を吐きかけ
空を飛ぶ怪獣が登場する。怪獣映画の元祖と云っていい。
「殺生石」「鵺(ぬえ)」「土蜘蛛」「羅生門」「紅葉狩」など多彩。
余談だがこれらの怪物は鬼と呼ばれ男の性であって情け容赦なく退治される。
女の鬼の能もある。女の鬼は仏の慈悲で成仏する。

日陰の葛は祭りの装束に使われたという。
冠の両脇に垂らした。昔は本物を使ったらしいが今は色付きの糸。
能でも「杜若」の小書で使う。
人の目は様々、人によっては気持ちの悪い日陰の葛をお祭りの飾に使うのだから。

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シバグリ(柴栗)ブナ科

山栗と呼んでいる。小粒だが畑のクリより断然うまい。
栗は美味いがトゲが恐ろしい。
栗にそっくりの栃の木の実にはトゲはないがトゲの代わりに毒がある。
毒抜きをして栃餅を作る。
人間ほど恐ろしい猛獣はいない。栃の実はまだしも猛毒のフグまでも食べる(下手な冗談)。

フランスの街路樹の栃の実にお飾り程度だったがトゲがあった。
へ~え。ところ変われば品変わるですネ、と首を傾げたらマロニエだと
教えてくれた。
フランスの人もマロニエを食べる?餅はないだろうからマロニエパン?
と聞くのは忘れた。

クリは秋を代表する果物。
猛暑の中、いつの間に栗が?とビックリ。
猛暑を愚痴りながら秋が近いのかと猛暑に一抹の哀惜を感ずるから不思議。
現代人は季節に鈍感、徹底的にカレンダダーに頼る。
その点植物は季節に敏感。
「それ草木心なしとは申せども、花実の時を違えず」
と能「高砂」で謡う。
昔の人は鋭い。季節の移り変わりを自然現象から受け取った。

能「高砂」は神様の能。
住吉明神と高砂明神がお爺さんとお婆さん姿で現れる。
清々しく爽やかな能。
正月に老夫婦が松の木の下を掃き清めている掛け軸を掛ける。
能「高砂」の一場面だという。
老夫婦は松についての話をする。
庭に松を植え、正月には門松、盆栽の王様は松。
能に関心がなくても松は日本人の心に深く住みついている。

お婆さんがこの上ない興味深い話をする。
お爺さんは住吉に住み、お婆さんは高砂に住んでいる。
どうして夫婦なのに別々に住んでいるの?と聞くと
「山川万里を隔つれども妹背の道は遠からず」
とお婆さん。

「高砂や、この浦船に帆を上げて」と結婚式に能「高砂」の一節を謡う。
この船出の謡にはお婆さんが云う妹背の道が込められていて、
新しい船出の二人には二つとない祝福の逸品だと思うのだが、
この頃はトント聞かない。
残念だが世間の人は能バカと云うだろうから、
声高には話さないようにしている。

お爺さんは「住吉に先ず行きてあれにて待ち申さん」と小舟に乗って沖の彼方に消える。
ワキの阿蘇の宮の神主は「高砂やこの浦船に帆を上げて」と後を追う。
目指すは高砂の対岸の住吉。
神主の前に若々しい姿の住吉明神が颯爽と現れる。
明神は神主たちを鼓舞して神神楽を奏させ神舞を舞う。
“神舞”はビックリするほどの急テンポの舞。
舞う人も囃す人も相手を慮る余裕はないほどの急テンポ。
観る人も首を左右に振り、急テンポで舞うシテを追いかけ忙しい。
終曲に五穀豊穣、天下太平、国土安穏、を寿ぐ。これらは古今東西人類の悲願。
今の世に馴れて、昔の人の決まり文句だと関心が薄い。
地獄の二次大戦が終わって高々七十数年経ただけ、雲行きの怪しい昨今なのに。

高砂
“千秋楽は民を撫で万歳楽には命を延ぶ”寿ぎの舞を舞う住吉明神

能「高砂(たかさご)」の詳しい解説はこちら
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