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12.23
Sun
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勿来の関跡に建つ源義家像 2018年11月23日写す 以下同じ

な来そ、打消しの助詞に挟まれた“来”。来るな!強烈な地名。
昔、此処は奥州への玄関口。奥州は最果ての地であった。
朝廷の威信も及ばなかったのだろう、陸奥の豪族の反乱「前九年の役」が
起こった。関跡に鎮圧に向う源義家像が建っている。
「吹く風を勿来の関と思えども道も狭に散る山桜かな」
最果ての地、奥州に向かう義家が詠んだという歌碑が立っていた。
勇将の感慨に少しシュンとなって像を見上げしばし立ち尽くした。
義家は八幡太郎義家と呼ばれた勇将で鎌倉幕府を開いた源頼朝の
曽爺さんだとあった。勿来の関跡は茨城県との県境近くにある。

福島県にはもう一つ著名な関所跡がある、白河の関。
「都をば霞とともに立ちしかど、秋風ぞ吹く白河の関」
能因法師の歌だそうだ。
歩いての旅は、春に出発しても白河の関到達はやはり秋になったと
いうのだろう。白河の関は栃木県との県境近くにある。
奥州は地の果ての國、旅は命がけだったが歌人達の憧れの地でもあった
という。この歌は中学生の頃兄に教わった。
今でも覚えているのは兄の話がよほど面白かったのだろう。
能因法師は奥州の旅に出ると偽って庵室に籠り窓から顔だけを出して
顔の日焼けを作ってこの歌を詠んだ。本当か嘘か兄の創作かは知らない。

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シロヨメナ(白嫁菜) キク科

盛大に咲いていた。“道も狭に咲く白嫁菜かな”義家が通りかかったのが
秋だったらこう詠んだかナと冗談の独り言がでた。豪華な群生だったので。
春の若芽は近縁のヨメナのように美味しいのだろうか、食べたことがない。
ヨメナは昔から身近な山菜、シロヨメナはちょっとした山でないとないので。
可憐なこれら野菊の花を見ていると、少年の頃読んだ伊藤左千夫の
「野菊の墓」が思い出いだされ遠い昔がよみがえる。

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ツバキ(椿)ツバキ科

紅葉はきれいだったが花が極端に少なかった。
木の花はツバキだけ。寒風に晒され煽られたのかあまり綺麗とは云えないが
唯一貴重な木の花。冷たい風を受け葉っぱが艶やかに綺麗だった。

12月の中頃、奥多摩の面白そうな林道を歩いた。
山仕事の人や軽トラのために作った道。
道の真ん中に椿が一輪落ちていた。
まだみずみずしかった。花には見えず気味わるかった。
昔は武家屋敷では忌み嫌って植えなかったと聞いたことがある。
切り落とされた首に似ているからだという。
椿は花びらがくっ付いていて散る時、纏まってポトリと落ちる。
サザンカも椿の一種。サザンカは花弁がくっ付いてなくてバラばらに散る。
散る様は潔い。武士はサザンカなら植えただろうか。
落ちツバキを友達に見せて博識(?笑)を自慢しようと撮ったが
カードが入ってなかった。

椿は万葉にも歌われ今の世では演歌にも歌われ人々に親しまれる
風情を持つ花なのに能に椿が登場しないのが不思議だ。
能では桜がダントツ。それも散る桜を謡うものが多い。
椿はポトリ落ちるが椿の一種、山茶花は桜に似てヒラヒラと散る。
椿がダメならせめてサザンカの能を作ってほしかった。
サザンカの花びらは桜の花びらに似ている。
桜より大きく厚いが薄紅色で形も似ている。
ハラハラならぬパラパラと散り辺り一面に散り敷く様は桜に負けず
幻想の世界に誘う。
能「桜川」のお母さんは水の面に散り浮かぶ桜の花びらに戯れ我が子を偲ぶ。

能「桜川」は狂女物と云われる能。
子は極貧の生活から母を助けようと我が身を人買いに売る。
「さてもさても、この年月の御有様。見るも余りの悲しさに人商人に
身を売りて東の方に下り」子の書置き。
今の世にこんな奇特の子供がいる訳ないだろう。
子の教育が今の時代とはよほど違ったのだろうか。親を思いやる心に万感。
「独り伏屋の草の戸の明かし暮らして憂き時も子を見ればこそ慰むに」
「のう、その子は売るまじき子にて候ものを」と母は叫ぶ。

母の悲しみ、絶望感は凝り固まって狂女となり我が家を出奔、子の行方を
捜して放浪する。母子の故郷は筑紫日向と母は謡う。
一般に筑紫は福岡県辺り、日向は宮崎県辺りを指す。
二県の間は数百キロ離れている。首を傾げるところだが子の名は“桜子”、
故郷の神、木の花耶姫の氏子だからと名付けたと母はいうからやはり宮崎だろうが、
又故郷を問われた母は「誰ともいさや不知火の筑紫人」と答える。
不知火は九州北部、福岡周辺。
筑紫は九州地方全域を指すこともあると云うから宮崎辺り、福岡辺り
どちらでもいいということにしよう。
「鄙の長路に衰えば、たとひ逢うとも親と子の、面忘れせばいかならん」と
母は謡う。数年の長旅の末辿り着いたのは常陸の國、桜川。
なんと千数百キロの旅だった。しかも歩いての旅だったのだ。
蛇足だが、同じ狂女物の中で「隅田川」の母は京都から東京の隅田川まで、
「百万」の母は奈良から京都までと目と鼻の先、桜川の母には遠く及ばない。
桜川の母の旅は、まさにギネス級(笑)。

桜子の母が桜川を訪ねたのは子の名の桜に引かれたから。
桜川は万葉の時代から聞こえた桜の名所。
特殊な土質に山桜の固有種が多種ある桜の名所、吉野や江戸の多摩川上水
にも移植されたという。
茨城県桜川市磯部のこの能所縁の神社、磯部稲村神社や近くの公園に固有種が
植えられていて花の頃には訪れ、その度ごとに息を呑む。

「常よりも春べになれば桜川、波の花こそ間なく寄すらめ」と紀貫之の歌を謡い
我が子を偲び桜川の河面に散り浮く花びらを掬い網で掬い舞い狂う。
懸命に花を掬う母の姿に子を想い慈しむ母の心情が溢れる。
「網之段」と云いこの曲の眼目、見どころ。

桜川1
網之段を舞い狂う母

桜川2
再会した子を抱く母

能「桜川」の詳しい解説はこちら

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