FC2ブログ
10.19
Sat
IMG_6375.jpg
武蔵野市境から見る富士の残照

中尊寺山門前の食堂はお昼も疾うに過ぎ、ウイークデーでもあったからだろう客はいなかった。桂馬は案内も乞わず暖簾を分けて突っ立ち、見るともなくぼんやり天井を見上げていた。奥から人の気配がしたが桂馬は見上げたままだった。
桂馬は大事な時計を落とし、心当たりを探しにやって来たのだ。時計は腕に巻き付いている筈が何時の間にか消えていた。小津絵が腕の時計をのぞき込み「あら、もうこんな時間」と呟くのを聞いて気が付いたのだ。無意識に外したのだろうが、その後が全く見当がつかなかった。食堂を出た後、中尊寺金堂までの間の小さな末寺を拝んだり衣川が見える見晴台で休んで、弁慶の立ち往生の話を冗談交じりに話したりした。
「お昼を食べてゆっくりお喋りしたあの食堂が一番可能性が高いと思います、行ってみましょう」と小津絵に励まされ暖簾を分けたのだが有るという確信など全くなかった。
「お客さんですよね、うちの女の子に面白い冗談おっしゃった。その子がお膳を引いたンですよ、忘れ物があったらその子がすぐ追いかける筈です。ここではないンじゃないンですか?忘れ物の保管箱にもそれらしき物はありませんしね。」年配の女将が云う“冗談”の一言が妙に耳を衝いた。確かにあの時冗談を云ったのだ。
「お父さん、何かをやる時は、やることを心の中で言って確認して行動するネ、いい?」
娘の朝子の声がよみがえったが反省など全く無く頭の中は訳の分からない渦が巻いていた。桂馬は俯いたまま無言で首を上下に振り店を出た。外で連れの小津絵が突っ立ったままで待っていた。
「先生、どうでした?」
「やはり無い」桂馬は無表情に顔を上げ小津絵を見た。
「そうですか」「じゃあもう一ぺん上まで引き返して探しましょう、道の何処かにきっと落ちていると思います、わたしの目は金属探知機ですから、おまかせください」小津絵がおどけ混じりに励ましたが桂馬の顔は崩れなかった。

桂馬は小津絵に尺八を教えている。
不器用な桂馬の唯一の趣味が尺八だ。師匠は会社の上司で氏家という曰くありげな名字の人だった。仙台の出身で塩竃出身の桂馬とは同郷のようなもので近親感があった。彼の父親は尺八の銀壺流と言う流儀の師範で尺八を教え生業にしていた。彼を跡継ぎにと思っていたのだろう子供の頃から彼に尺八を教えた。だが彼は大学を父の意向とは逆の工学部を選んだ。氏家は桂馬に「オレの性格から人にものを教えるなんて無理だよナ」とよく話した。桂馬は上司という厳然とした企業での上下関係を超えた近親感を氏家に抱くようになった。似たような性格の二人は何かににつけ近づいたのも自然だった。
不器用な桂馬が尺八を彼に習う切っ掛けが笑えるのだ。桂馬が彼の家を訪ね二人で酒をしたたか飲んだ後、彼が尺八を吹いた。何やら重々しい音色だったので泥酔に近い桂馬も思わず居住まいをただした。曲が進んで、オヤ?と桂馬が顔を上げた。氏家が一瞬尺八から唇を放しニヤリと笑った。聞いたような旋律に変わっていたのだ。なんと“ゴンドラの歌”に変わっていた。人柄に惚れ込んだ桂馬は彼に尺八を習い始めた。不器用な桂馬も人の倍ほどの時間を掛けてゴンドラ流の入り口らしき域に辿り着いた。
シャイな性格の桂馬がゴンドラ流尺八を小津絵に教えるようになったのも不思議だ。
小津絵は薬剤師だ。桂馬は中年頃から血圧が高くなった。小津絵の勤める薬局に降圧剤をもらいに月に一度通った。桂馬が手にしている錦の袋を小津絵が珍しがった。錦の袋から取り出した尺八に目を見張り吹いてくれとせがんだ。桂馬は一吹きだけしてみせた。

桂馬は仲間五、六人と月に数回、尺八を楽しむ会をする。定年を待たず退職していた氏家を師匠に桂馬が作った会だ。会員が増え「先生なんどと呼ばれると身が縮むね」とその折々彼は桂馬に囁いた。
理由は解らなかったがいつの間にか氏家師匠はいずこともなく遁ズラしてしまった。故郷の仙台にも帰っていなかった。氏家師匠は在職中、管理職の重圧に耐えかねたのだろう鬱病になり入院したことがあった。
氏家師匠は人との交渉の少ない土地で余生を送りたいと思っていたに違いない。師匠は遁ズラなど口にはしなかったが、師匠との交渉が深まるにつれ師匠の人柄に惹かれていった桂馬には突然の遁ズラの理由が分かるような気がするのだ。
「会社に多大な貢献をした人だ、後は好きな尺八を教えて余生を送れば最高だと思うがネ、会員も増え今からと云う時にいきなり消えるとは不思議な人だ」年老いても世間の常識に引きずられる会員の発言に桂馬は氏家を思いやった。
かなり迷ったが桂馬はその会に小津絵を呼んだ。小津絵の熱心な頼みだった。以来桂馬は小津絵にゴンドラ流尺八を教える羽目になってしまった。勿論、自分では自信がなく怪しげだとは思ったが、師匠が遁ヅラでは仕方がなかった。怪しげでも小津絵がそれでもいいというので尺八の古典を教えた。

小津絵は桂馬を先生と呼ぶ。彼女にとっては当たり前だが桂馬は恥ずかしい。
「先生は止してくれよ、ゴンドラ先生が聞いたらビックリだよ」
「いいえ、立派な先生です。尺八の技術だけが先生ではありません。尺八に対する心です」その度ごとに小津絵はいう。若い女性と尺八、世間一般は首を傾げるかも知れない。だが小津絵はかなり変わった女性だ。若者が夢中になる“もの”に全く興味を向けなかった。
家族も変わっているらしい。小津絵が折々話す家族の話を繋ぎ合わせると、父親はアメリカの大学に留学中、学友に日本のすばらしさを散々聞かされたという。アメリカに憧れ留学した父親にはアメリカ人が日本文化を褒め称すことが驚きだった。学友の憧れだという京都の話しは少しは納得だったが故郷の兼六園の雪吊の写真を見せられびっくりした。
見慣れた景色をアメリカの学生たちが感激するのが不思議だった。アメリカでの生活に馴れるに従い日本の文化に目を向けるようになった。帰国後、彼は兼六園出入りで、自宅の庭の手入れもしていた庭師に弟子入りした。加賀藩の重役を先祖に持つ父親も反対はしなかった。

桂馬が中尊寺を訪ねたのは氏家師匠の在所を知るためだった。桂馬が話す氏家師匠の人柄に興味津々のこずえが師匠捜索の旅に是非にとついて来たのだった。「泊がけの旅だよ、何かが起こるかも知らないぞ」と桂馬がふざけて見せても「OK!」意味を考える素振りもなく何の拘りも見せず小津絵は爽やかに応じた。
仙台の実家を訪ねたが実家の師匠の兄も住所は知らされていなかった。年賀状にも住所はなかったといった。
師匠の奥さんは中尊寺の仏様にお供えする菓子を作る和菓子屋の娘だと聞いていた。
ただ和菓子屋とだけで、どんな店なのか住所も聞いていなかった。
中尊寺の門前町の平泉の町はそれほど大きな町ではない。探せばきっと見つかるだろうと高を括っていた。見当を付けて訪ね歩いたが無駄骨に終わった。
「お菓子屋さん、平泉ではないかも知れません、東京に帰ったらネットなどで色々調べて必ず探し当てます。ガッカリしないで下さい。気晴らしに金堂を拝んで帰りましょう。私、中尊寺どころか金堂など見たことがないンです」金堂まで登ったのは小津絵の提案だった。

桂馬は時計を半ば諦めかけていた。
家で常時使うものが在るべき所になく、あるはずのない所から出て来たりすることが多くなっていた。どうしてそこに置いたのか全く思い出せない。使い終わって無意識のうちに所かまわず置くのだろう。時計も無意識のうちに腕から外しポケットに入れたつもりがそのまま落としたか、手に握って歩いている内に無意識のうちに握った手を開いて落としたのだろう。とぼとぼと歩き始めた桂馬を元気よく先に立っていたこずえが振り返り、
「落とした時計ってそんなに大事な時計ですか?それとも高価な時計だから?」
「やっぱり大事な人に頂いた時計よね、ホラ、先生の顔色が変わった!」
元気づけようとしているのだろうとお返しの桂馬の作り笑いはぎこちなかった。

桂馬が高校入学の時に父親に時計を貰った。スイスの高級時計だった。桂馬はその時計を腕に巻き付けるのを戸惑った。ポケットに入れ時間を見る度にポケットから出して見てまたポケットに戻した。いかにも高価に見えるその時計が我が身を我が身以上に誇示しているように思えて恥ずかしかったのか自分には似合わないと思ったのだろう。母の生活態度が身に沁みている証でもあった。母は必要以上のものを身に付けることはなかった。その理由を話すこともなかったが母の普段の生活の中での言動から、長ずるにつれ桂馬流に理解され沁み込んで行ったのだろう。大学を卒業し就職してしばらく、時計は桂馬のポケットを出入りしていたがいつの間にか消えていた。惜しい訳ではなかったが時計への拘りは妙に消えることはなかった。

突然なくなった時計は妻の温子のプレゼントだった。
温子にトラウマのような時計を、これも妙にも望んだのは桂馬自身だった。温子が出発する日、新宿のデパートで買い温子自身の腕に巻き付けて成田の空港から送って来た。これも桂馬が温子に照れながら頼んだのだ。時計のベルトは短かった。温子の手首の長さだった。桂馬は何かにつけて時計を手に取り話しかけた。これぞという催しがあるとトラウマの短いベルトの時計を苦労しながら腕に巻き「よし!温子、行くぞ!」と呼び掛けて家を出た。

小津絵が終始桂馬の前に立ち中尊寺への坂道を左右を見回しながら登った。諦めムードだった桂馬は熱心ではなかった。だらだらと小津絵の後に続いた。いかな金属探知機の目も時計を発見することはなかった。
金堂の入場券売り場の前で二人は無言でしばらく佇んだ。
「やはり無理だね、何せ小さいからね、落ち葉か何かの中にもぐったンだよ、きっと。諦めるよ。溶けて蒸発した訳ではないし何処かにきっと存在する、それでいいンだ。御用が済んで仕舞って翁草とするよ」小津絵がククッと笑った。小津絵も納得した様だった。
「では下りよう」桂馬は金堂を背に歩き出した。
「ア、そうだ、ちょっと待ってください。能楽堂のきざはしに腰かけてお話したでしょう、行ってみませんか、もしなかったら今度こそ潔く諦めましょう」後ろから小津絵が呼び掛けた。能楽堂は金堂から近い。二人肩を並べて能楽堂に向かった。
「能楽堂でお能のお話を聞きましたよネ」「え、どんな話?」
「奥様が学生の頃、お能の鑑賞会で見たお能が鬼の能で」
「ア、そうだった。数時間前に話したのにもう忘れていた。坊さんがお経を唱えて鬼を祈り伏せる、“おんころころせんだりまとうぎ”、昔の話なのに忘れないンだよね不思議に。かみさんの名前が温子、あつ子が“おんころころ”のおん子になった話だったね」
森に囲まれた能楽堂は舞台と楽屋だけで見物席は庭のような広場だった。人気もなく閑散としていた。
「あ、人が居ます。木の下の石に腰かけて、身体の具合でも悪いのかしら」
白いサファリハットをかぶり背筋を曲げた男が見えた。小津絵が急ぎ足で男に向かった。
「さすが薬剤師、具合の悪そうな人が気になるンだ」
小津絵とサファリハットの男はお辞儀を繰り返していた。今時珍しい光景だと桂馬は思った。
「この近くお住まいですか?」薬局の患者と話す口調に聞こえた。
「いいえ」男が名刺を差し出した。男は長い間のサラリーマン生活の延長のようにごく自然だった。武蔵野市境とあり、名前が吉田朴とあった。
「お名前が珍しいですね、なんと読むんですか」
「すなおです。外見を飾らない自然そのままという意味だそうです。おやじが付けたンです。名のとおりの風采になりましたが」丸い黒縁眼鏡をかけサファリハットを被り、飾り気のないジャンパーを着た中肉中背の男の容貌は“名は体を表す”の曰く通り多分素直な実直な人なのだろうと桂馬は思った。
「私も武蔵野市なんですよ。どこかでお会いしたかも知れませんね」遠く陸奥と呼ばれた地で同じ町に住む人に逢うとはと何か因縁のようなものを感じ桂馬は男の顔を見つめた。
「そうですか。武蔵野市ですか奇遇ですね」実直そうな顔に笑みが浮かんだ。
「実は女房が多賀谷西光寺の縁戚でしてね、里帰りの度にこの辺を女房と歩いたンですよ」
「エッ、あの摩崖仏の?中尊寺の前に拝んで来たんですよ、今日は奥様はどうして御一緒ではないのですか」小津絵も遠慮が薄らいだ様だった。
「女房はこの春亡くなりました」男は急にうつむいた。
                       つづく

≪東京金剛会例会のご案内≫

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)←クリックして下さい
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)←クリックして下さい
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局(山田方) 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796

comment 0
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top