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11.09
Sat
二十代の昔、山男の友達の足慣らしのお供で奥多摩の山を歩いた。
その一つ川乗山に行って見ようと思い立った。
奥多摩駅のバス乗り場にギリギリに駆けつけたら台風19号の土砂崩れで
通行止めだという。観光案内所のおばさんの勧めで六ツ石山に行く事にした。
手製の地図を貰ったが六ツ石山の登山口が曖昧な地図だった。
途中で出会ったおじさんに教えてもらった道を登った。
登るうちに道は細く荒れた獣道の様に怪しくなった。
後で気が付いたが杉の木の枝落としなどの作業道で杉が売れなくなった
ここ数十年誰も通らなくなった道だった。

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杉林が消え、瀧を見上げる沢に出た。ここで道は途絶えた。
道に迷ったら引き返す、が山の掟と聞いてはいたが生来の無鉄砲と
“何とかなるだろう”の楽観主義の性格が災いした。
滝は神奈川県の丹沢本瀧のF3程、誰も登った形跡もなく登るには危険。
瀧を登るのは止め手前の雑木がまばらに生えた急斜面を登ることにした。

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急斜面

礫岩の斜面は一歩毎に崩れ、前に進むのに四苦八苦、まばらに生えた木につかまり
岩につかまり四つん這いで登った。
いきなり岩の壁が立ちはだかった。
迂回すればいいのに何故か何時の間にか岩に取り付いていた。
岩の隙間にツツジの木が生えていた。落ちてもツツジの木に引かかかる
様にルートを選んで登った。登り詰めホッと胸をなでおろし最後の一歩、
石に足を乗せた瞬間、ズル!石は浮石だった。
幸運にもツツジの木が目の前だった。ツツジの木にぶら下がり必死にツツジの根元に
足を掛けようとするが細いツツジの木は撓み、腕の筋肉の衰えは云うことを聞かず
身体を持ち上げてくれない。
もがく事数分神の助けか、仏の慈悲か、火事場の馬鹿力か、腕の筋肉が身体を
少し引き上げようやくツツジの木の根元に足が掛かりホッと一息。
カメラは岩にぶつかってキズだらけ、腕も足も擦り傷だらけ“バカげた事をするな”
と“神のお仕置き”は過酷だった。

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熊の爪痕

岩の壁、礫岩の斜面を脱出、杉林に辿り着いた。
斜面を彷徨う事3時間、疲労困憊。やれやれと腰を下ろした。
杉の幹の皮が無惨に剥がされているのが目に飛び込んだ。
熊の爪痕に違いない。
東京にも野生の月輪熊が生息している。奥多摩も東京都なのだ。
以前、東京で一番高い雲取山の下山の途中、熊狩りの人達に会ったことがある。
「もう帰れ」との月輪熊大明神のお告げかも知れないと「六ツ石山」に行くのは止めた。
六ツ石山の花の未練を思う余裕もなかった。

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リュウノウギク(竜脳菊)

思いも寄らない珍事件に時間は大幅に過ぎ、漸く六ツ石山の登山道に出た。
月輪熊大明神のお告げを守り六ツ石山の花は諦め山道を下り始めた。
途中にリュウノウギクが咲いていた。
やっと花らしい花に出会って嬉しくなって座り込みカメラを向けファインダーをのぞいた。
何処からか微かに人の声が聞こえる。耳を澄ましと、
「のう~のう~、あれなる山行き人、その花ナ手折り給ひソ」
ふり返ると若い女性が近づいてくる。山歩きの服装ではない。町で見る女性の服装だった。
「リュウノウギクですネ。葉っぱを揉むと、かすかに竜脳の優雅な香りが致します」
ポカーン、空いた口から声が出ない。
彼女はにこやかに通り過ぎた。
「山登りではないですよね。どちらへ?」ややあってやっと後ろ姿に声を掛けた。
「散歩ですよ」と振り返りもせず歌を口ずさみ去って行った。

道々、頭の中はこんがらかり色々様々な想いが次ぎ次に思い浮かんだ。
さっきの女性はほんとに人間だったのだろうか?
もしかしてリュウノウギクの精だったのかも知れない。きっとそうだ。
いやいやそんな馬鹿な。「のう~のう~」の呼び掛けは彼女が口ずさんだ
歌だったのだ。深山の中に出現した美女に動転して幻覚に陥ったンだよ、きっと。
などなどブツブツと独りごとは果てしなく続いた。

この“事件”でつくづく思ったのだ。たとい三流半能楽師でも幸せなのだ、
能に携わっているから竜脳菊の妖精に出会ったのだと。
世の人はこう云っても構わない“何ともくだらない、お前さんの妄想だよ”と

地球上の事象がことごとく解明され、今の人は神秘の世界を信じない。
心の夢が乏しい無味乾燥な現代人は悲しいと思う。
昔の人が羨ましい。能「杜若」の僧は杜若の精が現れても当たり前顔で
驚かない。その余得と云っても当たらないかも知れないが僧は杜若の精に
在原業平の興味深い話をたっぷり聞かせてもらう。

能「杜若」は卓抜した詞章のクセ、キリで業平の東下りと業平像を巧みに
描き出した傑作。長大な二段クセとキリ、ともに工夫を凝らした舞が魅力の能。

杜若
「かように申す物語、疑わせ給うな旅人」
業平が着用していた初冠(ういかむり)老懸(おいかけ)業平菱長絹(ちょうけん)
を着て「東下り、業平像」を語り舞う杜若の精

能「杜若」の詳しい解説はこちらこちら



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